いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

明治生まれのお婆さんになった気分

今朝の通勤途中、腹が立った話をちょっと聞いてください。




職場に向かう国道で、救急車がサイレンを流しながら走って来ました。


地域性っていろんなところに現れる気がするのですが、


私が住んでいる街の住民は、救急車が走って来ると、聞こえた瞬間にすぐ避けます。


はるか彼方にサイレンの音が聞こえると、


聞こえる範囲の全部の自動車が、一台残らずサササ~ッと潮が引くように、左に寄せて止まります。


反対の車線のクルマも、見える範囲、全部停まるんですよね。


となりの県から引っ越してきて、それを見た時は、


ちょっと異様な光景でもあるので、最初のうちはとてもビックリしたし、


なんだか不思議に嬉しくなったものでしたが、


気が付いてみたら、いつの間にか私も、


救急車のサイレンの音がかすかに聞こえた時点で、


サササ~ッと左に寄せて、おとなしくクルマを停める癖がついています。




今日、腹が立ったのは、


救急車のサイレンが聞こえて、


登り車線も下り車線も全部のクルマが中央を開けて端によけようとする中、


赤信号で右折車線に停まった黒の軽自動車が、まったく動こうとしなかったことです。


もちろん、道交法的にはそれが正解なのかもしれないけれど、


交差点ではない普通のT字路で、しかも信号を待つ歩行者は一人もいない状況で、


なぜ、その後にどうなるか、想像というか予想ができないのか。


案の定、周りのクルマが大きく歩道に寄せて何とか救急車を通し、(そのうちの一台が私のクルマだったわけですが)、


若い女の娘の乗った黒の軽自動車は、


救急車の進行方向を大きくふさぎながら、微動だにせずピクリとも動きませんでした。




私には、地域性に影響された他に、もうひとつ、


急病人やけが人を乗せた救急車に協力的でありたい理由があります。


それは言わずもがな、3年前に私も、旦那さんと一緒に救急車に乗ったからです。


結局、旦那さんの命が救われることはなかったけれど、


あの時の救急隊員さん達や、医療関係者の方たち、


そして、私たちの乗った救急車のサイレンを聞いて、サササ~ッと潮が引くように避けてくれた人たちの、


その心がとても嬉しく、暖かな気持ちになるからです。




だからつまり今日の、


黒い軽自動車に乗った女の娘の愚鈍さと無頓着さは、


私には理解できないし、理解したくもない、まったく別の種類の生き物の行為としか思えません。


「誰かがやってくれるから。」、


「私には関係ないし。」。


そんなことを思っていては、何の解決にも繋がらないし、


引いては、誰も幸福になれる筈がない。



だから腹が立つわけです。


そして、


「あ~あ、やっぱり今の若い子たちはダメだねぇ~~。」と、


なんだか明治生まれの婆さんみたいな独り言をいいました。

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