いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

根拠のない義務感

昨日と今日は、ドタバタドタバタしていました。


休日に予定を入れ過ぎたためです。




ここのところ、いろんなことに意欲が戻ってきて、


特に良心に呵責なく、意欲をそがれることもなく、


自由に動き回れることを楽しむ私が居ます。


なのでついつい今月は、休みの度に予定を入れ過ぎてしまっています。


結局、土曜の早朝から今に至るまで、


ほとんど体を休めることが出来ていません。


(気持ちが緊張していて、寝不足気味でもあったりします。)






旦那さんが存命中にも、時々、やらかしてました。


休みの日に、できること以上の用事を入れてしまって、


結局は休みが終わるまで、ドタバタ、ドタバタしてしまうのです。



そんな時、旦那さんは私を見て、顔をしかめたものでした。


ああだ、こうだ、とあまり言わない人でしたが、


「休みの日ぐらい、ゆっくりしなよ」と、眉間にしわを寄せながら。




「だってぇ。」というのが私の口癖で、


「だってぇ。用事が終わらないんだもの」。


お料理だって、買い物だって、お掃除だって、


やらなきゃならないことは山ほどあるんだから。


二人が快適に過ごすために家をきれいにしたいし、


旦那さんには体に良いもの食べてもらおうと思うから、食材買ってこなきゃいけないし。




私は「よい奥さん」をしたかったから、


休みの日も動き回ったのだけど、


実は、それも私のエゴだった…、と、あの人が死んだ後に気が付きました。





旦那さんは私に、体を休めて欲しかったし、


ゆっくりのんびり笑っていて欲しかったんだと思います。


それが彼にとっての、「落ち着く我が家」だったかもしれません。



私だって、最奥の自分は、本当は旦那さんと一緒にのんびりしていたかった。


でも、自分にそれを許さなかったのは、


単なる私の自分勝手な思いだし、


実はそんなこと、二人とも望んではいなかったんです。





だから、あの時、旦那さんの横でのんびりできなかったことを、


私はあの人に詫びたいし、


自分自身にも詫びたい気持ちがちょっとあります。


自分で自分を、根拠のない義務感で縛り付けていることに。(現在進行形ですけど。)

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