悲しみと苦しみと寂しさを吐き出したくて
みなさんのブログをあらためて読んでいて、いろいろ考えさせられました。
私は今の、この、いつまで続くかわからないような悲しみや苦しみ、寂しさと、
いったいどう付き合っていけばよいのでしょうか。
もし、こんな状態が長く続くとするならば、
それこそ今、人々がコロナと出会って生活が変わり、皆がそれを「新常識」と呼ぶように、
私もまた、今までとはまったく違う人生が待っているのかもしれません。
街の景色も、人の表情も、テレビの画面や空の月さえも、
旦那さんが生きていたころとは全く違うものに見えてしまいます。
街を歩けば一緒に入ったレストランが悲しいし、
もうすぐ始まるクリスマスのイルミネーションは、見るたびに悲しくなるでしょう。
誰かの笑顔を見れば、旦那さんもあんな風に笑ったなぁ、なんて寂しく思い出してしまいます。
旦那さんがいなくなって少しの時間が経つけれど、
この感覚は、どちらかと言えば深まるばかりで癒える気配もありません。
だからもし、この状態にまだかなりの時間耐えなければならないのであれば、
この状態が、私にとって、まさしく新しい日常なのであり、
世界のすべてが変わってしまった…と言ってもよい状態なのかもしれません。
旦那さんを突然失ってしまって、その後、鬱を患った方を知っています。
私も一歩間違えば、…たぶん深く考え込む時間が増えれば…、彼女と同じようになりかねないと思っています。
そのために、考え込む時間を減らすために、何かを始めなきゃと思ったのです。
以前、旦那さんと一緒にいたら、いろんな場面で”浮き浮きワクワク感”がありました。
今はもう、前とは比べようもないほど小さいけれど、
小さな小さな”浮き浮きワクワク感”が欲しいと思い、それが私を救ってくれると考えました。
例えば、ネットやリアルの買い物を楽しむこと、ミシンで何かを作ること、
それから、ブログも書くこともきっとそうです。
ブログは、見えないけれど、向こうに読んでくれてる誰かがいて、
自分の悲しみや苦しみや寂しさ、そんな正直な思いで投げたボールを
だまってキャッチしてくれている読み手の方たちがいて、
そういう見えない多くの方たちに、今日もささえて戴いている気がしています。