いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

糸が切れた凧

今の私の心境を言葉にするなら、


糸の切れた凧…というと近いかもしれません。


自分を支える何かがまったく無い状態。


守るべき何かも無い状態。


頼れる何者かも無い。


一見寂しい感じがするけれど、


考えようによっては、かなり自由です。




満ち足りてもいない代わりに、特に何かが足りないわけでもなく、


権利もない代わりに義務もなく、


ただただ、ふんわりふんわり、可もなく不可もなく生きて、


いつかパタリと息絶える。


家族を持たない単身者って、こんな感じの終わり方をするんだと思います。


誰かが悲しんでくれるわけではないけれど、それはそれとして良しとするか。


最後の最後まで他人と比べちゃうのが悲しい性だけど、


今後はそういう死に方をする人って増えるんだと思うんですよ。




糸の切れた凧って、まさに今の私です。


旦那さんと繋がる糸が一番しっかりしていたけど、


それが切れてしまっても、しばらくの間は、


私はその切れた糸を手繰り寄せることを続けていました。



手繰り寄せた糸の先に、何かがあるのではないか。


恋しくて恋しくて、会いたくて会いたくて、


じっとしてなんかとても居られなくて、


ただただ闇雲に、糸を手繰り寄せようとしていました。



そして。


いつしか、その糸の先には何もついていないのだと、糸を引くことを諦める決心をした時、


気持ちがふっと楽になった代わりに、


ふわふわして取り留めもない心境になってしまって、


新たな支えが必要になったんだと思います。


つまり支えって、凧が飛んでいかないように、糸を結び付けておく何かなんだと思う。


それが私の場合、昨年出会った男性達だったというわけです。





凧はふわふわと飛び回りながら、たまに休める場所が必要で、


そこに時々戻ってきては、心と体を休めることができる。


そんな場所が以前は旦那さんでしたが、


その支えがなくなってしまった後、


私は新たに自分を支える何かを探していたのだと思うのです。



支え?  重石?


ともかく自分がどこかへ当てもなく飛んでいきそうで、


(私みたいな風来人はほんとに重石が必要なんです。


例えばどこに住んでも、自分がよそ者だという感覚が抜けません。)、


精神的にも物理的にも、


私には重石が必要なんだと思うんですよ。




だけど今回、適当な重石は見つからなかったのでしょうがありません。


諦めるけど、


諦めて、しばらくこのまま、ふわりふわりと飛んでいましょう。


そして、運は天に任せるということで、


あとは呑気に、のんびり飛んでいようと思います。

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