涙の理由(わけ)
一昨日の記事を読んでくださった方から、以下のコメントを戴きました。
最後に旦那様に掛けた言葉は、旦那様とこれからも普通に一緒に生きていくんだということを、前向きに考えていたからこその言葉だと私は思いました。
ご自分を責めることはないと思います。
ねことねずみさんと旦那様が積み重ねてきた十数年の絆の重みが霞むことはありませんよ。
コメントありがとうございます。
また、ぐしゃぐしゃ涙になってしまいました。
そうなんです。
そうなんです。
まさか死ぬなんて、思ってなかったの。
こんな簡単に一瞬で幕が閉じてしまうなんて思いもしなかったのです。
旦那さんと私の暮らしの中で、後で2人で笑いあえるひとつのエピソードになる筈だったのです……
……「いやー、あの時は焦ったわよ!」って。
ICUに入って、人工呼吸器をつけても、でもまだ生きると思っていました。
というか、
ずっと一緒に生きてきた、2人の時間が ほぼすべてだったあの人が、私の人生から急に消滅してしまうことなんて、
そんな簡単に想像できる筈もありませんでした。
だから早朝、電話の音が鳴った時も、まさか死の連絡だとは露ほども思わなかったのです。
病院からの電話と知って、一瞬、「何か言っていない情報があったかな(例えば薬の種類とか…)?」と考えたくらいです。
まさかまさか、旦那さんの死の連絡だとは想像もしなかったというか…。
……、人間の心理って面白いものだと思います。
あんまり否認が強いと、想像することすら頭の中から追い出してしまうものなのですね。
これからも、ずっと一緒に生きてゆく筈だったのです。
人工呼吸器ははずれて、
ICUから一般病棟に移り、
経管栄養は重湯に変わり、
車椅子を押して、一緒に屋上から階下を眺める日が来るはずでした。
退院したら、
溜まってしまった仕事に呆然として、
でもあなたの事だから、
溜息をつきながら、机に向かって電卓を叩きはじめるのです。
そうなる筈だったのに。
そうなる筈だったのに。
どこで歯車か外れてしまったの?
どうしてもう、あなたの手を握ることが出来ないの?
どうしてもう、あなたに抱きしめてもらうことが出来ないの?
どうしてあなたはもう、絶対に私の手の届かないところに行ってしまったの?
なんで私を一緒に連れて行ってくれなかったの?
なんで?