いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

二人で過ごした最後の日

朝にめっぽう弱い性質で、


いつも目覚ましを5~6回止めないと起きられないのですが、


今日はパッと起きました。


近くの道路を救急車が走って行く音が、聞こえたからです。




今朝の救急車で、どんな方が、どんな症状で運ばれたのかはわかりませんが、


2年前の明日、6月1日の早朝に旦那さんは救急車で運ばれました。


ちょうど同じぐらいの時間だったのじゃないかと思います。





今朝だけじゃなくて、


救急車がサイレンを鳴らして走って行くのを見る度に、


「運ばれているのは脳血管障害の人じゃないかしら?」と思うんですよね。


でも、単純に「どうか助かって!」と思うことができない。


救急車の中で旦那さんの横に座っていたことを思い出して、


とても複雑な思いのまま、


歯をきつく噛んで目をギュッとつぶりたくなります。





仕事から帰って来て、


2年前の今日、一緒に過ごした最後の日を思い出して、


2年経ってはいるのだけど、涙がたくさんたくさん出ました。


写真の前で、しゃくりあげながら長い時間泣きました。


2年経ってはいるけど、まだまだ、折々でこんなに悲しくなるんだなぁと、


失ったものの大きさを痛感しました。





なんだか、1年前よりも、ずっと悲しい気がします。


1年前は、まだ気持ちが落ち着いていなくて、


現実をちゃんと受け止め切れてなかったところがあったように思います。


それに比べて今は、


孤独の辛さというのがだんだんわかってきていて、


そして、この孤独がこれからもずっとずっと続くものだということを


受け止め始めています。


だから、去年より今、ずっと辛いのかもしれません。





倒れる前日の事…、2年前の今日の事を、いろいろ思い出しました。


「今夜、何食べたい?」と聞いたら、


食欲が落ちていたのに、めずらしく「肉が食べたい」と言ったこと。


「シャワーにする? お風呂にする?」と聞いたら、


「今日はお風呂かなぁ」と言ったこと。


お風呂の残り湯で洗濯をして、(旦那さんがだるそうだったから)干すのを手伝って、


「一緒に干すと、早いねぇ」と私が言ったら、


「俺もそう思う。」と言ったこと。




そんな、最後になるともつゆ知らずに、日常の普通の時間がたんたんと過ぎて行って、


2年前の明日、早朝6時過ぎ、


彼は倒れて、


もう二度と、


日常の生活は、


戻ってきませんでした。

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