改めて、2021年が明けました。
ブログ読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。
皆様に呼んでいただいて、本当に励みになっています。
何を目的に生き続けているのか、今ひとつわからなくなっているこの時に、
誰かが読んでくださっているこのブログを書くことが、
唯一の充足感というか、そんな感じでいつも書かせていただいています。
これからも、どうぞよろしければ読みに来ていただければ、と心から願っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末に、旦那さんを知っている方たちには、あらかじめ年賀状を失礼することを伝え、
その他の方…ほんの少ない人数ですが、
なるべく色使いのおとなしい年賀状を選んで出しておきました。
でも、ちょっと予想外の、毎年は下さらない方から年賀状が来てしまい、
余分なハガキは用意していなかったので、急遽近くの文房具屋さんに買いに行きました。
そしたら今、寒中見舞いのハガキがたくさん売られているのですね。
年賀状の代わりに出す用みたいで、
喪中に年賀状が来てしまった場合の書き方の例文などが、ちゃんと書かれています。
便利なものを見つけてしまった…と、さっそく買ってきました。
旦那さんがいない新しい年になりました。
一昨日の記事に書いたちょっと不思議なカレンダー(?)は、やはり捨てられず、
折りたたんで引き出しにしまい込みました。
旦那さんが、自分の死ぬ日以降の丸印をぜんぶ二重に書いていた…という
ちょっといわく付き(?)のカレンダーです。
でもどちらかといえば、これを捨てられない理由は別にあって、
1年が1枚になっているタイプのカレンダーなので、
6月3日以降の、私が歩んだ軌跡が一目で見えるから、です。
このカレンダー、7月以降は私が自分で休日の赤丸印をつけているし、
ほかには別に何も書いていないのだけど、
6月3日以降、苦しいけれど、歯を食いしばり前に進んできた軌跡…というか、記録です。
本当に今までこんなしんどい思いをしたことはなかったけれど、
そしてそのしんどい時期を、
こともあろうに、私一人で乗り越えなければならない…という、
恐ろしい試練のあった2020年だったけれど、
だからこそ、この時間は私にとって、
生涯のうちで一番大事で、愛おしい時間になるだろうと思うのです。
だから、その日々を一目で見ることができるこのカレンダーを、
簡単に捨てることはできませんでした。
自己満足でしかないのかもしれないけれど、涙なしには見ることができません。