いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

孤独

今日はなんだかとても疲れて帰ってきたので、


テーマを「疲労感」としようかと思ったのですが、


あぁそういえば、前にも確か「疲労感」という記事をアップしたことあるぞ…と気づいて、


探してみたら、やっぱりありました。





読んでみたら、今日書こうとしていたのと同じこと、


「疲れると前向きなことを考えない」と書かれています。


だけど、なんだか今読むと、前の記事は、


”後ろ向きさ加減” が今よりずっと軽い気がします。



前の記事は、10月15日に書かれており、


旦那さんがいなくて悲しい悲しい悲しい…と書かれています。


でも、そこからさらに3ヶ月近く経った今、


今日は特に疲れも手伝ってますけれど、


私がいま感じているのは「孤独」という言葉が似合うような、強い感情です。





旦那さんがいなくなって悲しい、寂しい…というレベルのものではもはやなく、


社会から孤立してしまっている…的な「孤独」。


だから、10月に感じていた感情よりはずっと深く、とても重いです。




先日、「家族を亡くしたあなたに」という本を読み始めた…と書きましたが、


この本によれば(まだ全部は読んでないのですが)、


家族の死によって、残された者がいろいろな感情、


(例えば、不安や怒りや罪悪感や死への恐怖など…)を感じるのは


決して不健康なことではない…と書かれています。


孤独感もまた例外ではない…というか、むしろ沸いて当たり前の感情だと思います。


ただ、今私が感じている社会から孤立してしまっている…ほどの孤独って、


おそらく私の想像でしかない、という気がしています。


もしかしたら、自分から望んでいる孤独なのかもしれません。




…というのも、私の今の状態は、


本に書かれてある「ひきこもり」の時期なのかもしれないからです。


なんだか今、リアルな友人知人に自分の気持ちを話す…ということを拒んでしまっています。


拒む…というより、苦しいし悲しい気持ちに変わりはないけれど、


特にこちらから、リアルな人たちに旦那さんの話をしたいと思わないのです。




もちろん、このブログで皆さんにお話をしてるから事足りているのかもしれないです。


だけど、リアルな人に話すことに対して、ある種の無力感というか、


「話したって、またすぐに苦しくなるし…」という気持ちや、


「死別者じゃない人に話したって、ピンとこないみたいだし…」という気持ちを持っています。


だから、現在、親しい友人知人に旦那さんの話をすることはほとんどなく、


毎日毎日、職場と家との往復だけ…というか、あ、買い物とかはしますけど。笑。




なので、このブログは、書くことも読むことも、とても助かっています。


この気持ちは、死別を経験した人じゃなければ絶対わからない気持ちですものね。


読んでくださっている皆さんには、本当に感謝をしています。

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