いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

メール

馴れ初めもメールからでした。


照れくさいので詳しくは書かないけど、


メールのやり取りがきっかけで、


13年前のクリスマスに初めてデートしたのです。




私が軽はずみにメールに絵文字のハートマークを入れてしまい、


「このハートマーク、本気にしていいの?」となっちゃって、


「え?うそ?マジ?」と言っている間に、


私は背中に羽が生えてすっかり有頂天になり、


そしてそのまんまゴールイン💓 というのが、馴れ初めです。





うぶな私は、それから何か月か、


夢うつつに旦那さんの事ばかり考えて暮らしていました。


そんな具合だからろくにご飯も食べないで、体重も数キロ減りました。




だけど、一緒に暮らすようになってからは逆に幸せ太りというヤツで、


すっかりもとに戻って、初めの体重も超す勢いでしたけど、


旦那さんが死んじゃってからはまたしばらく食欲不振が続き、


結局もとの体重に戻ったような感じです。




なんでまた、体重の話なんかしてんだか。


話をメールに戻せば、


付き合って最初の3年間は別々に暮らしていたので、


私は毎晩毎晩、一日も欠かさずに旦那にメールをしていました。


ちょうど、今ブログを書いているような感じです。


だけど、旦那さんへのメールは、


毎晩ベッドに入ってから仰向けになって、いわゆるガラケーで書いて送っていました。


内容的には、特に「愛してる💓」とか書くわけじゃなく、


毎日、思ったことや感じたことをダラダラと書いてただけなんだけど、


旦那さんは、それを毎日ちゃんと読んでてくれたようです。





そして旦那さんは、私がどんな人間かということを、


きっと毎日のメールを通して理解してくれたんだと思います。


メールのやり取り以外にも毎週末必ず会ってたし、毎日電話も欠かさなかったし、


お互い相当入れ込んでとてもラブラブ💓💓な3年間でしたが、


一緒に暮らすようになってからは、


旦那さんにメールすることはパタリとなくなってしまいました。






このブログ、自分で、書くことがよく毎日あるもんだなぁ…と感心(?)しています。


だけど結局、旦那さんにメールしてた頃と感じが似てるからなのね。


なんかとてもこの時間が気に入っていて、


お風呂も済ませてパジャマ着て、もう寝る直前のリラックスした状態で、


毎晩このブログを書いています。


そしてこのブログが、私にとって今一番のストレス解消になっています。


悲しいと思えば悲しいと書くし、寂しいと思えば寂しいと書く。


今日みたいに思い出したことを書く時もあるし、


全然関係なく、仕事のことを書くこともあります。


多分この時間を使って、私は、話して手放す…ということをやってるのだと思います。


「話して手放す」とは、旦那さんが良く言っていた言葉で、


誰かに話をすること…で(例えば苦しい)気持ちの捕らわれは手放せるから、話すというのはとても大事だよ、ということだそうで。


今は仮に、愚痴を気軽に話せるようなリアルな友人がいなくても、


SNSとかブログとかで、誰かに自分の言葉を聞いてもらうことができます。


私自身が今、なんだか友人に軽々しく旦那さんの話をする気分にはなれなくて居て、


だからほんとにほんとに、死別の苦しみが、今、この時代でよかったなぁ、と実感しています。

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