いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

母の死と比べて

今日は、私の亡くなった母の誕生日でした。


母はもう20年以上前に亡くなっています。


父はお陰様でまだ元気でいますし、ほかに近場に親しくしている親戚もないので、


ごく親しい身内が亡くなった…といえば、私の場合、母と旦那さんぐらいです。




母は癌だったのですが、発見が遅くなってしまったために、長患いにはなりませんでした。


入院後すぐ医師に呼ばれて、診察室に父と並んで座り、


「いたずらに延命処置は行わず、自然な形で逝かせてあげてください」と、


2人で同じことを医師にお願いしたことを覚えています。




母が亡くなった時、最期の息を長く長く吐いたのがとても印象的でした。


ちょうど先生が回診に見えていらしたときで、


私は別室(当時は喫煙室というのがまだありました)に控えていたのですが、


看護師さんが走ってきて、急いで母の病室に行ったその時、


母の、最期の長い吐息に間に合う事ができました。




母の死も、もちろんとても悲しかったです。


もう永久に会うことができないんだと、


姿を見ることも声を聞くことも叶わないんだと。


大好きな大好きなお母さんだったし、


私もまだお子様気分が抜けなくて、ずっと一緒にいたかったし。




…でも、だけど。


これを読んでくださっている皆さんも、経験された方はみんな同じだと思うのですが、


私は今回、旦那さんの死に遭遇して、


親の死と配偶者の死があまりにも違うことに驚きました。




旦那さんが亡くなった時の感情に比べたら、


母が亡くなった時の感情なんて、まるでままごとみたいな感じです。


旦那さんの死の勢いが台風だとしたら、


母の死は、ほんとうにシトシト小雨くらいの感じです。





お母さん、ごめんね。


お母さんの死が悲しくないとか、そんなんじゃないんだよ。


だけど、旦那さんが死んだときのショックは、比べ物にならなくて。


子ども(しかも成年になった子ども)が親を失うのとは、


まるで悲しみがこみ上げてくる場所とか濃度とかが違うんだよね。




旦那さんは私の世界だったから。


旦那さんがいて、初めて私の生きる意味があるほどの、


無くてはならない存在だったから。


自分が自分でなくなっちゃうほどの、


今までの価値観が全部ひっくり返っちゃうほどの、


すごいできごとだったんだ。


だからお母さん、許してね。


まるで次元の違う事なんだ。

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