嫉妬
今朝、通勤途中にハッとしました。
昨日書いた記事には誤り…というか、足りない言葉がありました。
それは、「嫉妬」です。
昨日の記事で、
ふたりの友人と、現在ほとんど連絡を取っていないという話をしました。
そしてその理由は、私の「引きこもり期」にあること、
ひいては、つまり、
「共感できない立場の人に苦しい気持ちを訴えても辛さは変わらない」から、
友人と連絡を取らなかった…という話をしました。
だけど、それだけじゃありませんでした。
もちろんふたりとも、とても優しい気持ちを持った人達だし、
今回を含め、今までも随分いろいろお世話になりました。
だから本当に、おふたりには感謝してもしつくせません。
だけど私にはもうひとつ別の気持ちがあって、
おふたりにはそれぞれ、元気な旦那さんがいて、元気な奥さんがいるのです。
要するに、おふたりともそれぞれ、ご夫婦で健在なんですよね。
だから私の
「共感できない立場の人に苦しい気持ちを訴えても辛さは変わらない」
という気持ちの裏側には、ちょっとブラックな私がいて、
「夫婦で楽しく生活しているあんたたちに、いくら私の気持ちを言ったって、
わかってもらえるわけないじゃん。言えば却ってこっちが悲しくなるよ」
という気持ちがある。
………ということに、今朝クルマを運転しながら気が付いたので、白状します。失笑。
8ヶ月前の今朝、旦那さんは外の駐車場で倒れました。
だから、8ヶ月前の今ごろは、もう私はこの部屋で一人ぼっちで、
これからどうなるか、希望的な推測がほとんどできない中で、
ただもう布団に潜り込むしかありませんでした。
めちゃくちゃ、怖かったです。
怖くて怖くて、息がちゃんとできず、空気が肺の奥まで届かない感じでした。
だって昨日の今ごろは、そこで一緒に洗濯物を室内干しにしてたんだよ?
だからまだ、ちゃんと乾かない洗濯物が干してあるじゃないのよ。
なのに、なんでここにいないのよ。
ICUで酸素マスクなんて似合わないから、戻ってきなよ。
戻ってきて、またふたりでくっついて眠ろうよ。
あの頃の不安や恐怖に比べたら、
それでも今はずいぶん楽になったような気がします。
…というか、不安や恐怖の質が違ってきた、というのが正しいのかもしれません。
あの頃はまだ、目の前の現実を受け入れられなくて、
ただただもがいていた感じ。
それにくらべて今は、
確かに目の前の現実は受け入れつつあるけれど、
だけど、これから先の未来のことを考えたり、
受け入れたりする心の準備はまだ全然できていません。
だからやっぱりまだまだ涙は枯れないようですね。