いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

電話

朝から手芸店とドラッグストアに行きました。


手芸店から割引クーポンのついたはがきが来ていたので、


期限が切れないうちに、夏用エプロンとマスク用の布の買いだめをしてきました。


それからドラッグストアでは、今ちょっとマイブームのめぐりズムが、


そろそろなくなってきていたので買ってきました。


疲れ目が暖まって、良い匂いがして、今のところとても気に入ってます。


気のせいか、寝つきもよくなったみたいで、


貼った途端、まだちゃんと暖まる前に意識がなくなっちゃったりしています。






今日はしばらくぶりで、


旦那さんが亡くなってから少しの間、大変お世話になった方に連絡を取りました。


忙しい人なので、今度の休みの日に電話したいのだけど…と


ご都合伺いのメールをしたのです。


不思議なことに、


このメールをするにあたって、なんだかとても決心が必要でした。





以前も書いたことがあるのですが、


今の私はたぶん少し、「引きこもり」の状態にあるのではないかと思っています。


旦那さんが亡くなって最初の1ヶ月から2ヶ月の間は、


もう、どうにかなってしまいそうで、一人でなんかとてもいられなくて、


今日メールした人と、もう一人、旦那さんの友人の男性の方ですが、


毎日のようにメールしたり電話をしたりしていました。


でも、ある時期からピタリと連絡したいと思わなくなってしまったのです。


どういう心境の変化なのか、いまだによくわからないのですが、


これがいわゆる「引きこもり期」ということなのかもしれません。




もしかしたら、旦那さんが亡くなった激動のさ中ではありましたが、


毎日のように電話やメールをしていることで、


自分でちょっとヘンだと思ったのかもしれません。


メールしても電話しても、相手から返って来る言葉はいつも同じ慰さめの言葉で、


少し違和感を感じざるを得ませんでした。


だけど考えてみれば、それは当たり前のことで、


もし私が逆の立場に立ったら、同じことをするだろうと思います。


…というか、他に言葉は見つからないはずで、


「今は耐えるしかないよ」とか、


「そのうち楽になるから」としか、


言える言葉、他にないじゃないですか、相手は遺族なんだから。




彼らは実際に家族を失ったわけではないので、私に「共感」などできるはずもなく、


こちらはもちろん、相手に苦しい気持ちを聞いてもらいたいだけなんだけど、


そこに、両者の間に違和感というか、凹凸がハマらない感じというか、


そういう居心地がよくない感じを、


(少なくとも私は)抱いてしまったのだろうと思います。


だからその後は、しばらく電話はせず、


たまのメールも「元気でやってます」という感じでやり過ごしてきていました。





でも、勝手なもので、寂しい…という気持ちも感じるわけです。


だけど、まぁ有体に言ってしまえば、


「共感できない立場の人に苦しい気持ちを訴えても辛さは変わらない」


という気持ちとの狭間で、


とても揺れ動いた数ヶ月間ではありました。


そして、どうしようかと迷っているうちに、


連絡しないまま何か月も経ってしまったので、


少し落ち着きました…という挨拶もかねて、


お礼の連絡をすることにしたわけです。




電話は私の次の休みの日に約束しました。

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