いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ゆとり

少しずつ、前の生活に戻ってきつつあります。


前と違うのは、旦那さんがいないことだけなんですよね。


たとえば職場での私は、


もしかしたら、旦那さんが死ぬ前よりも明るかったりするかもしれません。


今、職場は好きです。


特に仕事が好きとか楽しいとか、そんなんじゃなくて、


旦那さんのことを忘れていられるから、苦しくないから、好きなのです。




思い出したときの苦しさ、寂しさは、前と全然変わりません。


思い出すと涙は出るし、だから、朝と晩の通勤路ではやっぱりよく泣きます。


だけど、職場の出入り口を入った時から、出てくるまで、


その間は、ほとんど思い出さなくなりました。



以前は、お昼ごはん食べてるときや、トイレに入っているとき、


仕事終わって更衣室に行くまでの廊下ですでに思い出して、


その度に、気持ちがしゅんとしたものでしたが。




今はそれほど頻繁に思い出さなくなったけど、


でも、却って、思い出した時との気持ちの落差は大きくなったかもしれません。


「あぁ、そうだよ、そうだったんだよ。


私の現実って、以前とは違うんだよ」。


現実を忘れて仕事をしているときは、


たとえば1年前の私と今の私とは、なにも違わないような気がするけど、


1年前の私とは全然違う現実に、ふ…と気が付き、立ち返るとき、


その気分の落差に、いつもなんだかくらくらしそうになるのです。





生活がいつも通りになってきているぶん、


半身が欠けてしまったという現実をふと思い出して、


あぁ…と思う。


その瞬間の寂しさって、


最近の言葉で言うと、かなりエグいものがあります。





気持ちにゆとりがないんだなぁ…とつくづくため息が出たのは、


家に来た、赤十字の募金の封書を見た時です。


本当に恥ずかしいほど少額ですが、


赤十字にたまに募金をすることがあり、


時折、募金のお願いの封筒なんかが来ることがあります。




たいがい、読んだだけで募金しないのが常ですが、


でも今日は、


「そんな気持ちになれないのよ」と言いながら、


読みもしないでゴミ箱へポイ。


その瞬間、気持ちに余裕がないんだなぁ…とつくづく思いました。


まぁ、確かに、前ほどじゃないけれど、


一日一日過ごしていくのに精一杯…という感じが


まだまだ抜けてません。


1年もたっていないんだから、当たり前かもしれません。

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