思い出を語る相手がいないこと
一昨年のお盆にこのアパートに引っ越してきてから、
最初の9ヶ月半を旦那さんと一緒に過ごし、
その後の9ヶ月半を一人で過ごしたことになります。
数えてみると、
旦那さんと一緒に過ごした時間と、私一人で過ごした時間が
多分、ここ一週間の間のどこか辺りで、ちょうど同じくらいの長さになるのです。
引っ越した当時のことを思い出すと、寂しいです。
ふたりで品定めしたアパートは、値段の割に広くて、リフォームされたばかりで、収納もしっかりしてるから、
本当に良い見つけものをした、と手を取り合って喜びました。
前のアパートより駐車場までの距離が短い事や、
クルマ降りてからドアまでに段差がほぼない事 (前のアパートも1階でしたが外階段があったので) を、
旦那さんは、足の悪い私のためにとても喜んでくれました。
また、お風呂のドアのとこだけ構造上、結構段差があったのですが、ホームセンターでちょうど良い高さの見てくれの良い踏み台を見つけた時、本当に私より喜んでくれて、
優しい人なんだなぁ、私のこと大事に思ってくれてるんだなぁ、と、
つくづく改めて惚れ直したりもしました。
引っ越しするにあたってダブルベッドを新調したのですが、
腰痛防止のためにと、ニトリでちょっと奮発して買って、
その寝心地の良さに、ふたりで感動しました。
旦那さんはたぶん1ヶ月か2ヶ月の間、ほとんど毎日のように、
横になるたびに「いいベッドだなぁ~」としみじみ言っていたものです。
そんな出来事もすべて思い出になってしまって、
思い出を語り合う相手も居ずに、すべては私の胸の内だけにある。
それが何より寂しかったりしています。
そして、もっと寂しいのは、
今日以降、このアパートで一人で過ごすの時間のほうが、どんどん伸びてしまうことです。
時間が経って、そのうちもしかしたら、
ふたりで一緒にこのアパートで過ごしたことが、はるかかなたのほんの小さな記憶になってしまって、
このアパートでの記憶のほとんどが、一人暮らしの記憶になってしまうこと。
そしてそのうち、
「あぁそういえば、そんな時もあったねぇ」なんて昔話を思い出すように、
旦那さんはまるっきり「過去の人」になってしまいそうで、
それがなんかすごく怖いし、すごく寂しい気がします。