いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

思い出を語る相手がいないこと

一昨年のお盆にこのアパートに引っ越してきてから、


最初の9ヶ月半を旦那さんと一緒に過ごし、


その後の9ヶ月半を一人で過ごしたことになります。


数えてみると、

旦那さんと一緒に過ごした時間と、私一人で過ごした時間が


多分、ここ一週間の間のどこか辺りで、ちょうど同じくらいの長さになるのです。





引っ越した当時のことを思い出すと、寂しいです。


ふたりで品定めしたアパートは、値段の割に広くて、リフォームされたばかりで、収納もしっかりしてるから、


本当に良い見つけものをした、と手を取り合って喜びました。


前のアパートより駐車場までの距離が短い事や、


クルマ降りてからドアまでに段差がほぼない事  (前のアパートも1階でしたが外階段があったので)  を、



旦那さんは、足の悪い私のためにとても喜んでくれました。


また、お風呂のドアのとこだけ構造上、結構段差があったのですが、ホームセンターでちょうど良い高さの見てくれの良い踏み台を見つけた時、本当に私より喜んでくれて、


優しい人なんだなぁ、私のこと大事に思ってくれてるんだなぁ、と、


つくづく改めて惚れ直したりもしました。




引っ越しするにあたってダブルベッドを新調したのですが、


腰痛防止のためにと、ニトリでちょっと奮発して買って、


その寝心地の良さに、ふたりで感動しました。


旦那さんはたぶん1ヶ月か2ヶ月の間、ほとんど毎日のように、


横になるたびに「いいベッドだなぁ~」としみじみ言っていたものです。




そんな出来事もすべて思い出になってしまって、


思い出を語り合う相手も居ずに、すべては私の胸の内だけにある。


それが何より寂しかったりしています。




そして、もっと寂しいのは、


今日以降、このアパートで一人で過ごすの時間のほうが、どんどん伸びてしまうことです。


時間が経って、そのうちもしかしたら、


ふたりで一緒にこのアパートで過ごしたことが、はるかかなたのほんの小さな記憶になってしまって、


このアパートでの記憶のほとんどが、一人暮らしの記憶になってしまうこと。



そしてそのうち、


「あぁそういえば、そんな時もあったねぇ」なんて昔話を思い出すように、


旦那さんはまるっきり「過去の人」になってしまいそうで、


それがなんかすごく怖いし、すごく寂しい気がします。

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