いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

遺したもの

sy2021/03/17 07:37
それで“ねことねずみ”さんなのですね。
奥様の気持ちがよくわかる気がします。
自分は妻の持ち物は衣類を少し整理しただけで何も捨てられずほとんどそのまま残しています。というか妻にまつわるものはほとんどそのままの状態で残しています。
子供たちに“最後のお仕事”として残します。娘には早く処分するようにせっつかれていますが・・・。



↑上のコメントは、syさんとおっしゃる方が、私の一昨々日の記事を読んでコメントをくださったものです。


(syさん、コメント欄からコピペしてしまってすみません。コメントいつもありがとうございます。)




私もsyさんとまるきり同じで、


やはり旦那さんの衣類を少し整理しただけで、他は手付かずです。


前にも書いたことがありますが、


ちょっと不思議な気もするけれど、


亡くなってすぐに、その日のうちとか2~3日中に捨ててしまったものもあります。


旦那さんが使っていた歯ブラシとかタオルとか、その類のもの。


それから、亡くなった当日に、靴は下駄箱に全部しまい込みました。


考えてみると、当時、生活臭がするものは見たくなかったのかな。


玄関に靴が脱いであるのに、なんで旦那さんがいないの?


使いかけのタオルや歯ブラシはあるのに、なんでいないの?


もしかしたら、旦那さんがこの家にいることを強く連想させるものを、排除したかったのかもしれません。


だって、耐えられないよ。昨日までここにいたのに。一緒に住んでたのに。





最初の何週間か、あるいは最初の何ヶ月かを過ぎて、


喪失感はそのままだけど少しずつ落ち着きを取り戻してきて、


今度は単純に、旦那さんの思い出の品物たちを捨てられなくなりました。




旦那さんが好きだった飴が入っている瓶がテーブルの上に置いたままになっていて、


(賞味期限のある食べ物なのに)捨てられなくて、


でも、見ると思い出すから辛くてどうしてよいのかわからず、


とりあえず、別の種類の、私が好きな飴を上から詰め込んで、


旦那さんの飴を見えないようにしました。



でも今度は、私の飴をなめちゃうと旦那さんの飴が見えちゃうし、


結局、その瓶の飴には全然手を付けないまま、今もそのまんまになっています。失笑。





旦那さんが遺したものは家中にいっぱいあって、


私はsyさんのように子供さんとかいないから、


「これ、そのうちどうなるんだろ。」とたまに思います。


いろんな方の死別ブログを読んでて、


気持ちの変化はそうそう簡単なことではないと知ってはいますが、


現実的には、私自身が死ぬ前に終活をして、


もう少し身軽になっていたいなぁと思っています。



私は旦那さんの死を経験して、最近少し、自分の死を意識するようになりました。


で、私が死んだ後に、私の身内の者に、


アパート一軒分の荷物を整理させるのはちょっとなぁ…と思うのです。


(しかも、私は家族に旦那さんのことを紹介していなかったので、)


なぜか荷物の半分は男性物の洋服とか、工具とかヘルメットとか、


女性の一人暮らしにはそぐわないような遺品がいっぱい出てきて、


なんだかよくわからないようなことになっちゃいそうで、ちょっと怖い気もします。汗。





ところで。


今、一番見て悲しいのは、


旦那さんのお茶碗とお椀です。


7ヶ月のお弁当生活を終わらせて、今は少し料理もするけど、


旦那さんのお茶碗とお椀はもうまったく使わないものだから、


食器棚の奥のほうに入っちゃって、


それが何だか見るたびとても寂しい気がします。




お茶碗は、一緒に暮らし始めてすぐに近くのスーパーで買ったもの。


お椀は、たしか益子だったか笠間だったか焼き物を見に行って、なぜか木製のお椀を買ってきました。


思い出は、決して消えません。


思い出して切ない寂しい気持ちになるか、懐かしく微笑ましい気持ちになるかは


時間が決めるのだと思います。

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