誰かの心の中に居続けてくれたらいいのにな
存命だった頃に旦那さんもよく出席していたある会合に、今日参加してきました。
旦那さんが亡くなって日が浅いころは、集まる度に必ず、彼を偲ぶ言葉が聞かれました。
だけど1年半経つと、少しずつ変わってしまって、
ここのところ、旦那さんの名前を口に出す人はほとんどいません。
寂しいけれど、やはりそういうものなのだと思います。
少しずつ、少しずつ、皆の記憶から遠のいていく。
それはしかたのないこと。
でもそれは、生前の旦那さんの良い人さとか、存在感とか、人気度とかとは全然関係なくて、
みんな、万人が、亡くなれば、この世から忘れさられていくのですよね。
それが生きる者の性だから。
生きる者はみな、自分が生きることに精一杯だから。
でも実は今日、ちょっと嬉しい事がありました。
会合で、旦那さんの名前を口に出してくれた人がいたからです。
新入りだった「僕」に、参加者が職業とか家族のことなどを根掘り葉掘り聞いたんだって。
そしたら旦那さんが、「こらこら、そんなにいきなり聞くなよ」と、静止してくれたのだそうで。
だから「僕」は居心地よくこの会合に通い続けてる…という話をしてくれました。
うれしかったです。
旦那さんが、「僕」のことを気遣ってくれて。
そしてそれを覚えてくれてる「僕」が居て。
そうやって、いつまでも、誰かの心の中に居続けてくれたらいいのにな、と、
ふと微笑んでいる自分に気が付きました。