いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ちっぽけな私

職場でここのところ、書類の整理をしています。


ヘルパーさんたちが、介護を利用しているお客さんのところへ持って行った


消耗品の記録を一覧にしています。 


社内監査があるかもしれないから、その準備なんですって。


だけどその割に、何年も前からのメモが、全然整理されずにどっさりあります。




今年の4月分の記録から、どんどんさかのぼって、


〇×年〇月×日に倉庫から何を持って行ったか、を書き出します。


今まとめているのは、’21年~’20年のコロナ感染真っ最中の時期なので、


消毒液だの、感染防止用のグローブだの、予防衣だのがたくさん持ち出されていて


なるほどなぁ、ヘルパー職も大変だなぁ、と仕事をしながら感心しています。





今日の夕方、2020年の8月分まで書き出したんですよね。


そして、今日の仕事を終える前に、


2カ月先の、2020年6月分のメモを、チラッとめくって見たのです。



つまり、旦那さんが倒れた日や、亡くなった日も、


ヘルパーさんの消耗品持ち出しはあったのか。 


この事務所には、いつもと変わらぬ普通の日常があったのか。  


当たり前の事ではあったけど、なんとなく確かめたくて、


記録を見てみたわけです。





記録によると、


6月1日も、3日も、ヘルパーさんは消耗品の持ち出しをしていました。


つまり、あの、私にとっては激動の、一連の大混乱の始まりの日は、


ヘルパーさんは事務所に来てグローブやら予防衣を準備して、


利用者さんのところに行って、清拭をしたりご飯を作ったりお話をしたり。


そういう、いつもと同じ日常があったわけでした。





それを考えると、


確かに当たり前の事ではあるのだけど、すごく妙な気持ちがして、


なんだかちょっと、叫び出したいような気持ちになりました。


だって、そしたら、例えば今日。


私がいつもと変わらず仕事をしている今日という日は、


誰かにとっては、大混乱の初めの日なのかもしれません。


もしかしたら今、日本のどこかで誰かが、愛する旦那さんを亡くしたかもわからない。




そんなことをつらつらと考えるうち、


なんだか私ってちっぽけで、


身の回り20~30メートルくらいのことしか見えないし、


10分後のこともわからないし、


そんなちっぽけな私が、寂しくなったり苦しくなったり泣きわめいたりしているわけで、


そう考えたら、ふ…と力が抜けた気がしました。




そしたらちょうど、終業の定時のベルが鳴りました。

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