いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

もうすぐ2年経ちます

2年前の5月28日は木曜日だったはずです。


旦那さんが倒れた6月1日は月曜日だったので。


あれから、もうすぐ2年です。


あれはちょうどコロナの第一波が収まりかけた時期だったから、


そう考えると、ずいぶん時間が経った気もします。


まだ、2020年中にオリンピックをやれるかどうかがわからなかった頃のことです。




まだ、マスクやアルコールが品不足だった頃でした。


だから私は毎日、旦那さんと私の二人分の使い捨てマスクの使用済みのものを、


食器用洗剤でジャブジャブ洗って干していました。


だけどそのマスクを再利用する前に旦那さんは死んじゃったし、


だんだんマスクもアルコールも普通に出回るようになってきて。


でもしばらくの間は、


洗ってはあるけど、せっかく旦那さんが使ったマスクだからと思って、


捨てるのに抵抗があって、しばらく捨てずにずっと取っておいたものでした。




でも良く考えると、


半分は、旦那さんが使ったマスクだけど、


残りの半分は、私が使ったマスクなわけですものね。


大事なものなのだか、そうでないのか、よくわからないから、


結局、燃えるごみの日に全部、出すことにしてしまいました。




そんなわけで、マスクは捨てたけど、


旦那さんの思い出の品物達が、我が家にはまだまだたくさんあります。


だって気持ち的にまだまだ、遺品を整理なんてできるわけもなく。




遺品というほど立派じゃなくても、


例えば机の引き出しにだって、


私の物も入ってるけど、旦那さんの持ち物も入ったままになっています。


(鉛筆とかクリップとかメモ帳とかの文房具用品がたくさん。)


でも、引き出しの整理をしようとすると、旦那さんの持ち物を見てその度に悲しくなるから、


そのまんま整理できずに持ち越してて、


その結果、


最近どうも、引き出しの中が整理整頓されずに、


ゴチャゴチャしてきて困ったりしています。





死別してから約2年の、そんな私の日常ですが、


たぶん、もうしばらくは、こんな状態が続くのだろうと思っています。


旦那さんの死後1年ぐらいは、良くも悪くも心境にいろいろ変化はあったけど、


その後はほとんど、これといった変化はありません。


たぶんこのまま、孤独と言うか、孤立と言うか、


そんな日常が続いて行くのだと思っています。




でも、まぁ、今日読んでいた本にも、


「人間は等しく皆淋しいものだ」と書かれてありました。


そう言われてみれば、私にとって、


旦那さんと過ごした12年間だけが、特別だったような気がします。


人間みな、そんなものかもしれませんね。


根本的に、生きてる間は寂しいものなのかもしれません。

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