いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

透明なガラスのコップ

昨日途中まで書いてたコップのお話です。


2年間ずっと、食器棚に入ったまんまになっている透明なガラスのコップがありました。


旦那さんが、倒れる前に麦茶を飲んだコップです。


あの日、旦那さんが倒れたのは朝方で、


出勤前にタイヤのパンクを直そうとして外に出た時に倒れたのですが、


実はもう、夜のうちから、血液が血管に詰まる脳梗塞の予兆があったらしいです。


だから、喉が渇いたんだと思う。


私は寝ていてわからなかったんだけど、


夜のうちに起き出して、ベッドサイドに麦茶を持って来たみたいなんですよね。


だけど、思ったほど飲めなかったらしく、


コップにはまだ半分以上、麦茶が残った状態でした。




タイヤのパンクを直すために、外着に着替えて、寝室から出てきて、


(梗塞の予兆で腰が痛むから)しずしずと歩いてきて、


その時、右手に飲み残しの麦茶の入ったコップを持っていました。


そして静かにリビングのテーブルの上に置きました。


私は「寝室に麦茶持って行ってたの?」と不思議に思いながら、


「あれ? 麦茶、寝室から持ってきてくれたのね、ありがとー!」と私は言って。


………。 


それが、元気な彼に私が掛けた、最後の言葉になってしまいました。






予後はおそらく悪い…とドクターに宣告されて、


その足で、病院から戻って来て、部屋に帰ってきたら、


リビングのテーブルの上に、麦茶の入ったコップがありました。



きっと彼が最後に飲んだことになるであろう麦茶、


飲み残しのその麦茶をぞんざいに捨てるのは抵抗があって、


彼が私のために買ってきてくれたカーネーションに、


麦茶を注いだのを覚えてます。


(でも結局、そのカーネーションは、ほとんど咲かずにしおれちゃったのだけど。悲。)






ということで。


今日の話は、その時麦茶が入っていたガラスのコップの話です。


昨日、2年経って、初めてそのコップを使う気持ちになったのです。


あんまり暑くて、喉が渇いて、


どうしても涼し気なガラスのコップに氷をどっさり入れて、


アイスコーヒーを飲みたくなったからでした。




つまり昨日、うちの食器棚にあったガラスのコップは、


「旦那さんが最後に麦茶を飲んだコップ」ではなくて、


「普通の透明なガラスのコップ」に戻りました。




それでいいんだと思うのです。


家族を失った私が、その思い出を一つずつ手離してゆく作業…と言ってもよいのだと思うのですが。


それがいいことなのか、そうでないのかはわからないけど、


私にとっては、今この時が、その時で。


そうやって時間って過ぎていくのだと思います。




追伸)


昨夜、途中まで書いたブログが消えちゃって、


『ブログ村さん?muragonさん? どっち?


ともかく困りますよぉ、しっかりしてください。』


と書いたら、


今朝、さっそくmuragonさんからメールを頂きました。


なんだかとても嬉しい気持ちになったので。謝謝。

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