いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ひとりの自由さ。

実は昨日の休みは、一日ドタバタしていました。


介護職のくくりになるので、早めに4回目のワクチン接種を受けに行ったり、


その後、今度行う趣味のセミナー会場にその代金を払いに行ったり、


セミナーに来る友人をもてなすための、地元のレストランを下見に行ったりしてました。


そして帰って来たころには、すっかりクタクタになりました。




で、帰宅後、椅子に座ったまま動けなくなってしまって(ずっとテレビ見てたんですが笑)、


今日、行こうと思っていた美容院の予定を、来週の土曜日に変更しました。


(と言っても別に予約をしてあるわけじゃないので、ただ、私の頭の中だけの変更ですが。)


そして、その変更がスルッと何の抵抗もなくできたことに、


我ながら感動した次第です。




こんなこと書くと、呆れられちゃうかもしれないんですが、


私、もともと予定を変更することが苦手な人です。


今週の休みの予定を来週に延ばすって、それじゃあ来週の予定はどうするのよって感じで。


だけど今回それがスルッとできたのは、


こんなこと書くと、なんだか誤解されそうですが、


旦那さんが死んじゃったことも一因していると思います。




あの人が死んじゃってから、私の休日の予定はずいぶん変わりました。


昨日は例外たけど、基本的に休みの日は、


ぼんやりテレビ見ながら過ごす日も多いです。


こんな休みの過ごし方、家族が居たら考えられないですよね。


でも一人暮らしの人は、もしかしたら、わかってくださる方が多いかもしれません。




私も、旦那さんが生きてるときは、


来週の休みの予定なんて、いつも、もうすっかり決まってたものです。


「来週は〇〇にご飯食べに行こうね」とか、「来週はそろそろ衣替えするよ」とか。



「美容院行くの、来週にしたから」と言って怒る人ではなかったけど、


でもなんとなく、こっちの心も痛むというか。


それに、そしたら今度は、来週の予定がどこかへ行っちゃうわけで。


なので大概、予定はいつも、出した時点でほぼ決定事項になってしまって、


予定を一生懸命こなすために、休みの日のほうが却って疲れる…なんて日が、


往々にしてあったものでした。




昨日、予定をスルッと変更できてしまって、


その時私が思ったことは、


「私も自由になったものだなぁ」ということです。


でも、自由って、寂しいですよね。


何でも自分の意志で決定してよい代わりに、


その責任を負うのも、私一人です。


例えば、それこそ休みの日には何時まで寝てたって良いわけだし、


夜更かしして例え空が白んでも、誰に迷惑がかかるわけじゃなし。


要は、誰とのかかわりもないから、誰からも文句ひとつ言われないわけで、


ただただひとり、誰にも知られないまま、生活がすさんでゆくだけだったりします。


もしかしたら夜更かしと遅寝のために、健康状態が悪くなっちゃったりしてね。


結局、それでも、誰に迷惑をかけるわけでもないのです。




こんな風に考えてみると、ほんとにすごく、寂しいですね。


やっぱり私、不自由のほうがいいみたいです。

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