ひとりの自由さ。
実は昨日の休みは、一日ドタバタしていました。
介護職のくくりになるので、早めに4回目のワクチン接種を受けに行ったり、
その後、今度行う趣味のセミナー会場にその代金を払いに行ったり、
セミナーに来る友人をもてなすための、地元のレストランを下見に行ったりしてました。
そして帰って来たころには、すっかりクタクタになりました。
で、帰宅後、椅子に座ったまま動けなくなってしまって(ずっとテレビ見てたんですが笑)、
今日、行こうと思っていた美容院の予定を、来週の土曜日に変更しました。
(と言っても別に予約をしてあるわけじゃないので、ただ、私の頭の中だけの変更ですが。)
そして、その変更がスルッと何の抵抗もなくできたことに、
我ながら感動した次第です。
こんなこと書くと、呆れられちゃうかもしれないんですが、
私、もともと予定を変更することが苦手な人です。
今週の休みの予定を来週に延ばすって、それじゃあ来週の予定はどうするのよって感じで。
だけど今回それがスルッとできたのは、
こんなこと書くと、なんだか誤解されそうですが、
旦那さんが死んじゃったことも一因していると思います。
あの人が死んじゃってから、私の休日の予定はずいぶん変わりました。
昨日は例外たけど、基本的に休みの日は、
ぼんやりテレビ見ながら過ごす日も多いです。
こんな休みの過ごし方、家族が居たら考えられないですよね。
でも一人暮らしの人は、もしかしたら、わかってくださる方が多いかもしれません。
私も、旦那さんが生きてるときは、
来週の休みの予定なんて、いつも、もうすっかり決まってたものです。
「来週は〇〇にご飯食べに行こうね」とか、「来週はそろそろ衣替えするよ」とか。
「美容院行くの、来週にしたから」と言って怒る人ではなかったけど、
でもなんとなく、こっちの心も痛むというか。
それに、そしたら今度は、来週の予定がどこかへ行っちゃうわけで。
なので大概、予定はいつも、出した時点でほぼ決定事項になってしまって、
予定を一生懸命こなすために、休みの日のほうが却って疲れる…なんて日が、
往々にしてあったものでした。
昨日、予定をスルッと変更できてしまって、
その時私が思ったことは、
「私も自由になったものだなぁ」ということです。
でも、自由って、寂しいですよね。
何でも自分の意志で決定してよい代わりに、
その責任を負うのも、私一人です。
例えば、それこそ休みの日には何時まで寝てたって良いわけだし、
夜更かしして例え空が白んでも、誰に迷惑がかかるわけじゃなし。
要は、誰とのかかわりもないから、誰からも文句ひとつ言われないわけで、
ただただひとり、誰にも知られないまま、生活がすさんでゆくだけだったりします。
もしかしたら夜更かしと遅寝のために、健康状態が悪くなっちゃったりしてね。
結局、それでも、誰に迷惑をかけるわけでもないのです。
こんな風に考えてみると、ほんとにすごく、寂しいですね。
やっぱり私、不自由のほうがいいみたいです。