いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

傾聴

唐突ですが、以前、カウンセリングの勉強の真似事を少しだけしたことがあります。


社会人になってから、半年間くらいの勉強だったので、


大した知識ではありませんが、


カウンセリングの基礎の基礎の基礎、ぐらいは学ばさせていただきました。




勉強するうえで、ひとつ、目から鱗だったことがあります。


それは「傾聴」という姿勢です。



(心理学を勉強したことがある方は、


以下、もし間違っていることが書かれていたら、どうぞ目を瞑ってください。


そのほかの方も、以下はその程度の文章だと思って読んで下さい。)




その講座の中での実習として、私も実際にカウンセリングを練習したのですが、


何回やっても、先生から良い点数をつけてもらえませんでした。


生徒が二人一組になって、軽い(?)悩みなどあったらそれを相手に話す、という


方法だったのですが、


私は相手が話してくれた悩みの相談に乗るつもりで、


一生懸命無いアタマを使って、


「ああしたほうがいい、こうすればどうですか?」なんて、


意見やアイデアを相手に話していたのです。




結局は、それが、私が良い点数を貰えない理由でした。


いろいろなカウンセリングの仕方があるそうですが、


私が勉強したやり方では、


クライエントさんの話を「傾聴」する事を良しとするカウンセリングだったからです。




「傾聴」とは、その名の通り、耳を傾けて拝聴する、ということで、


「相手の話に共感すること」に重きを置くカウンセリングです。





なので私も、講座の途中からやり方を変えました。


「あー、そうなんですねー」、「それは大変でしたねー」。


先生の真似をして、ある意味、凄く不真面目に聞こえそうな共感の仕方で、


相手の話を傾聴する事にしたのです。


そしてとりあえず、その講座を及第することができました。





相手の話を聞くにあたり、共感をもって拝聴する事で、


相手が話しているうちに、自分で解決方法を見つけることに繋がるみたいです。


私も実際、クライエントの立場で話しているうちに、


自分で解決方法を見つけて納得したことが何度もありました。



それからもう一つ重要なことは、


「あーしたほうがよい、こうしたら?」なんて意見ばかり言っていると、


クライエントは話す気が失せたり、


相手の評価を気にして、正直に本心を喋れなくなってしまうのですよね。






長々と、死別とは関係のない話をしました。


なぜこんな話を書いたかといえば、


私の旦那さんは、この真逆を行く人だったから、です。



あの人は、ほんとに、自分の意見を言わない人でした。


本人にとって、それが心地よい事なのかどうかは、聞かないでしまったけれど、


もう習慣になってたんでしょうねぇ。


いつもニコニコして、相手の話を聞く側に回っていた人です。


(でも決して、無口というわけではないんですよ。


今思えば、相手が喋りやすいように、共感の合いの手を入れたりする優しい人でした。)


彼は4人きょうだいで、お兄さんとお姉さんがひとりずついたため、


そういうことも影響しているのかもしれませんが、


ともかく、相手に不快な思いをさせない人で、


だから、前にも何度か書いたけど、特に同性の友人がとても多かったです。




私はどっちかといえば、


カウンセリングの講座でもやっちまった通り笑、


ついつい、言わなくてよい一言を言って失敗するタイプです。


だけど、それって根っから善意なんですけどね。


でも、善は最善の敵なんだそうで、


危うい事は言わないに限る、ということなんでしょうか。


旦那さんに倣いたいと思っています。

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