いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ひとりで過ごす月命日

29回目の月命日でした。


今日は一日、雑事があって家に居たので、


ちょっと買い物に出たほかは、誰とも話をしませんでした。




旦那さんが倒れたあの日までは、


一日じゅうひと言も話さない…なんて、あり得ない話だったのにね。


朝起きた時「おはよ~。」から始まって、


帰ってきたら、「ただいま~」、「は~い、おかえりなさい」。


相手の声が聞こえ、自分の声も聞こえる、それが普通の生活だったのに。




人間の声って、聞いていると落ち着きませんか?


……というか、癒し効果があるというか、


本質的にα波が出るような気がします。


自分が発している声にしても、やっぱり聞くと安心する気がします。


……、だから、思いっきり、ひとり言が増えたんだと思います。




私、家の中で、始終ブツブツ、ブツブツ、ひとり言ばかり言っています。


だけど一人暮らしのひとり言って、すごく良い効果がある気がしているんですよ。


私は、ひとり言をつぶやく(時には大声!)ことで、とても元気が出ます。


「よ~し、頑張るぞ~!」とか、


「お! さ~すが私! 上手に出来たじゃん!」とか、


気力や勇気を奮い起こす、ひとつの大事なツールになっています。






さて話を戻して。


お昼近くになってしまったのだけど、


旦那さんにお花を買いに、スーパーに行きました。


お花のほかにも、何かお供えしようと見まわしていたら、


「大人のホットドック」と書かれた総菜パンを見つけました。




こういうの、ソソラれる人だったんですよねー、うちの旦那さんは。


多分きっと、辛いソースだから、大人の……なんでしょ。


だけどそれだけじゃなく、


商品が面白いネーミングだったりすると、気に入って買ってきたりする人でした。



お供えしようと思って、ひとつ手に取ってカゴに入れ、


他にもいろいろ買いたいものがあって、結局山盛りの買い物になっちゃって、


レジに行ってみたら…、ちょっとショックでため息が出ました。


底の方に入れてあった「大人のホットドック」、


押しつぶされて少し変形してたのです。 あちゃー。どうすっぺ。




考えた末に、


家に帰って来て、ラップで包み直して、


ついでにモールで赤いリボンをつけてみました。


旦那さんに手を併せながら、


…つぶれたパンでごめんちゃい。


…だけど、変わることない私の愛は、感じられるよね?




買ってきたお花は、花瓶に生けてお供えしました。


今まで飾っていた花のうち、まだ大丈夫なのは除けて、


湯飲み茶わんに活け直してリビングへ。




この湯飲み茶わんも本当はお揃いだったのですが、


ひとりになったら、私は元来コーヒー派なのでほとんどお茶は飲まないし、


旦那さんの茶碗は、見ると悲しくなるので、


もうずいぶん前に、古新聞に包んでシンク下に閉まってしまいました。



だから今は、


私の茶碗は、一輪挿しに有効活用です。


もうそろそろ散り際の花ではあるけれど、


寂しい一人暮らしを癒してもらうには充分です。


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