いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

トラウマ(心的外傷)

旦那さんが元気だった最後の晩、


2人で、洗濯物を室内干ししたのを覚えています。



うちの場合、割とはっきり家事を分担していたので、


2人で共同で行なう家事は、食品の買い出しくらいでした。


洗濯に関しては、洗濯機に汚れ物と洗剤を入れてスイッチを押すまでは、私。


洗った洗濯物を干すのと、乾いたのち外して畳むのは旦那さんだったのです。




ですが、倒れる前の日(5月31日)は末日だったから、彼には仕事の〆があったし、


第一、体調がいまひとつという感じだったから、


私が洗濯物を干すのを手伝ったのです。


私が、「2人で干すと、早いねぇ」と言ったら、


「うん、俺もそう思う。」と言ったことを覚えています。




2人で干したら早い事を知ったばかりだったのに、


もう二度と、2人で干すことはありませんでした。


2人で干した洗濯物を、ハンガーから外して畳んだのは私でした。


確か畳んだのは、彼が亡くなった後だったと思います。


泣きながら、旦那さんのパンツや靴下を畳んだ記憶があります。




それとは別の記憶ですが、


保存のきく食べ物とか洗剤とか他愛もないものでしたが、通販を頼んでいて、


宅急便の到着日が、ちょうどお葬式の日に重なりました。


お葬式から帰ってきたら、確か不在通知がポストに入っていて、


後で改めて届けてもらったのだけど、


「これを注文した時はまだ、あの人が生きてたんだよなぁ。」とか、


「こんなに食品届いたって、もう食べさせる人いないもの。」とか、


段ボール箱を前にして、ペタンと床に座って泣き崩れたのを覚えてます。




なんと言いますか。


心が痛んだ記憶がトラウマのようになっていて、


トラウマって、日本語では「心的外傷」と訳すのだそうですが、


本当に心の傷になっていて、


何かあるたびに思い出します。



仕事など何かに夢中になっている時は思い出さないのだけど、


問題が何もない時って、苦しかった記憶を思い出します。


つまり平和な時は、私は刺激が欲しいのか。



今日、思いっきり過去の苦しみを思い出したということは、


つまりは現在、平和だってことで、


良しとすることにしましょう。

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