いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

心が温まる

自分を取り巻く環境がいろいろ変わってきています。


…というほど変わってはいないんですが…、


でも、やらなきゃいけないこと…というか、やりたいことが少しずつ増えてきています。




もうすぐ…、あと約3ヶ月で丸3年になるんですよね、あの人を失ってから。


自分の欠けた部分を埋めてくれていたあの人が居なくなって、


あの当時は、自分で自分の欠落したところを何で補えばよいのかわからず、


だからその苦しみは、


ちゃんとした”大人”のそれよりは、


10倍とか20倍の苦しみだったかもしれないと思っています。




苦しみが幾分かでも和らぐようになったのは、


私の場合は、心の内を話せる何人かの友人がいたことと、場所(私の場合はzoomでした)があったこと、


それから(ひとりきりの時間を過ごすことを避ける意味で)職場があったこと、


そして何より、時間薬のお陰だったと思います。




今でも一人の生活は充分寂しいから、


家に帰って来て、ふとよぎる寂しさに大きなため息をつくことがありますが、


3年という時間の中で、ひとつ学んだことがあります。



それは、私は決して一人で生きているのではないんだ、ということです。


旦那さんが亡くなった当初、


泣いている私を慰めてくれた人もいるし、


悲しい愚痴を聞いてくれた人もいるし、


職場で仕事上のメールの最後に、励ましの一言が添えられていたり。




でも、それだけじゃなくて、


あの人が居なくなったことで、私を心配してくれた人はたくさんいましたし、


(例えば私の愛車のディーラーさんとか、生協のオバサンとか。)


テレビをつければタレントが私の悲しい気持ちを吹き飛ばしてくれるし、


スーパーの売り子のオネエサンが荷物を運ぶのを手伝ってくれたり、


だから、


だから私は、いろんな人に支えられて、今生きていられているんだという感覚です。




そして、世界で一番大切な人が亡くなって3年が経とうとしている今、


今度はその恩を返していく番だという、


そんな気持ちが少しあります。


そんな大仰なことはできないけれど、


でも、だれかのちょっとしたお役に立てたら嬉しいと。


あの時、誰かが私の悲しみを癒してくれたのだから、


今度は私が、誰かの悲しみに対して、何かが出来たら嬉しいと。



人間は決して一人で生きているのではないし、


お互いがお互いをほんの少しだけ思いやることで、


心が温まるような有難い気持ち…、


人間が生きていくにはそんな思いが必要なのだと。


そんなことを感じる昨今です。

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