いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

友人の死

友人が亡くなりました。


本当は友人というのはウソで、職場の先輩です。


先輩と言っても、私のほうが少し年上だったんですけどね。


でも彼女はまったく先輩風を吹かすこともなく、お互い気も合ったから、


なんだか友人というのが一番違和感ないです。





私が今の拠点に異動になったと同じ時期に、休職中だった彼女は退職をしました。


彼女は腎臓の病気で、


人工透析を受けていました。


彼女は勤務していた時も体調は思わしくない事が多くて、


休んだり早退したりは多かったですが、


なかなかの美人さんで、ものすごく笑顔の可愛い人でした。





昨日、一緒に勤めていた女性から電話があって、


彼女の死を知りました。


確か彼女はまだ、人工透析を受けるようになって数年のはずでした。


よくわからないけど、きっと、早いんですよね。


話をした同僚が、「私の知り合いは、透析やりながら25年生きたわよ」なんて言っていました。






昨日から今日に掛けて、


私はひとり言で、「なんだかガッカリしちゃったなぁ」と何度もつぶやきました。


もちろん友人を失ったことも、


私にとって、意気消沈するとても悲しい出来事ですが、


それより何より私をもっとガッカリさせたのは、


「やっぱり人生には終わりが来るんだ」とあらためて思ったからです。


自分より年下の女性が病死したことで、


「私もいずれ死ぬんだ」と、突き付けられた気がしました。





みなさん、読んでて「今さら?」と思うかもしれません。


もちろん私は3年弱前に、私の世界で一番大事な人を、病気で失いました。


だけど私は、少なくとも旦那さんが亡くなった時には、


ほとんど自分の死については考えませんでした。


そういう次元ではなかったからです。


大事な人の死というのが余りに大きすぎる出来事で、


自分とはかけ離れた出来事というか、


自分の事として捉えるだけの余裕がなかったんだと思います。





そして、今回の友人の死に直面して、


初めて、自分と同じくらいの年齢の女性の死、を身近に感じて、


旦那さんの時とは別の意味で、少なからず動揺しています。




明日は彼女の告別式で、


何をおいても行きたい気持ちはやまやまではあるのですが、


如何せん、ゴールデンウィーク直前の月末の金曜日ということで、


やむなく諦め、


電話で教えてくれた女性にお香典だけお願いすることにしました。




式は明日11時からだそうなので、


明日は仕事をしながら、心の中で供養したいと思っています。


恵美子さん、どうぞ安らかにお眠りください。

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