いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

供養

あと1時間足らずで、


私にとって激動としかいいようのない2020年が終わります。


去年の今ごろは、隣の部屋でふたりで年越しのテレビ番組を見ており、


そのうちゆく年くる年が始まって、年が明け2020年になって、


今年もよろしくお願いします…って、定番のあいさつをして…。


そして、おそらく旦那さんが先に寝たのだったかなぁ。私はしばらくテレビ見てたのかしら?


記憶はちょっとあやふやなのですが……。




でも間違いなく去年の今頃は、旦那さんも私も、


来年の大晦日もふたりで一緒に年越し番組を見るんだと思っていました。


まさか1年後の同じ時間、私だけが一人で、こうやって死別ブログを書いているなんて、


思いもよりませんでした。




何と言ったらよいのでしょう。


こんなに辛い気持ちが、しかも途切れることなく長期間続くって、


まるきり初体験ですし、


年が明けたからと言って、決して終わることのない苦しみではありますが、


とりあえず、もうすぐ今年は終わります。


そして、苦しみはこれからも続くけれど、


ある意味、小さな区切りにはなるかもしれないと思っています。





実質、もうすぐ来月の3日で7回目の月命日を迎えることになりますが、


とりあえず今までよく頑張った、と自分に言ってあげたい気持ちがとても強いです。




旦那さんが亡くなってそんなに経たない頃、


いろんな意味で感情のどん底ではありましたが、


でも、「私なら乗り超えられる」という自負心みたいなものがどこかにありました。


この感覚は自惚れ…というよりも、むしろ、


必ず旦那さんが、何かの形で私を守ってくれるはず…という気持ちでした。


もちろん旦那さんは見えないし、もう声を聴くこともできないけれど、


偶然とは違う何かの力が、私や私を取り巻く環境にちょっとだけ働くだろう…的な、


小さな信仰心(?)みたいなもので、


それによって、小さな安心感を持つことができました。


そして、その気持ちは今現在もどこかにあって、


そのため辛うじて毎日毎日を無事に過ごせています。






この気持ちは私にとって、とても大事な気持ちで、


こんな気持ちにしてくれた旦那さんにはありがとうと言いたいし、


(私を置いて行っちゃった旦那さんではあるけれど…)


こういう気持ちを大事にし続けて、旦那さんを身近に感じることが、


供養ということなのかもしれないなぁ、なんて思っています。

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