いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

守ってくれてるんだろな

旦那さんはもともと心臓に病を持っていたから、


いつかこうなることを、私はずっと恐れてきました。


ちょっと大げさに言えば、


いつも頭のどこかにそれを恐れる気持ちがあって、


例えば旦那さんの仕事の帰りがちょっとでも遅いと、


私はすぐソワソワした気持ちになってしまったものでした。


心配で心配でしようがなくなり、


我慢ができなくなると電話をかけて、安否確認(?)したりもしてました。


何か用事を見つけて、そ知らぬふりして電話をかけるのだけど、


旦那さんが電話に出てくれると本当にほっとしたものです。




だから、変な話ですけど、旦那さんが亡くなった時、


「あぁ、これで怖いものがなくなった。もう何が来ても怖くない」と思いました。


私の命が失われることだって、少なくてもあの時は、未練はないと思ってました。


失いたくないものは、何もないように思えたのです。




今も基本的に、気持ちの変化はあまりありません。


以前より少しだけ前に進もうという気持ちにはなっていますが、


今もし何かを失ったとしても、以前ほどの執着はないような気がします。



だって、幸せな時間は終わっちゃったわけだし、


今もう、そんなに失ったら困るものないし。


この上もし何かがなくなったとしたって、


それが仮に、今ある健康や安定だとしたって、


幸せでないことには変わりはない。


不幸なことには変わりない。




よくよく考えてみれば、


以前ほどの執着がない分、却って、物事にとらわれる心が目減りしています。


とらわれる心が小さくなっているってことは、


もしかしたら以前より、私、楽に生きれてるのかもしれません。


「別にどうだっていいや」という捨て鉢な気持ちもちょっとあるけど、


それはそれでいいのかもしれない。





いずれにしろ、旦那さんが亡くなった結果として、


いろんな気持ちの変化が私の中に起きているのは事実です。


悲しんだり寂しくなったり、辛い日々は続いていて、


苦しい変化もあるけれど、


なんだかきっと、(結果として)よい変化もあるような気がしてます。


旦那さんが天から見てて、


私を守ってくれてるんだろな、と思ってます。

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