いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

悔しさ

少し調子のよかった腰痛が、今日はまた痛むし、


一日なんだかお腹の調子が悪くて、ひどい思いをしました。


へとへとな思いで、家に帰ってきました。


根性で買い物だけ済ませて帰ってきましたけどね。




お供えしている生花がもうそろそろ元気がなくなってきたから、


帰りに買ってきたのだけど、


桃と菜の花が入った花束です。


季節はもうすぐ春になろうとしているわけですね。





旦那さんが亡くなったのは初夏で、


ちょうどアジサイの季節になるところでした。


亡くなったばかりの頃、アジサイの花を見てすごく泣いたのを覚えています。


近くのアジサイのきれいなお寺に一緒に出かけたのを思い出したから。




あれからもうすぐ9ヶ月になろうとしているのか。


あっという間だったのか、とても長かったのか、よくわかりません。


だけどこんなにいろんな思いをし、


いろいろ考え、苦しんだり悲しんだりした時間は、生まれて初めてでした。





物事には必ず終わりが来るんだな、と思いました。


旦那さんとの幸せな時間は、もっともっとずっと続くと思っていたのに。


ついこの間まで一緒に暮らしていた部屋で、


写真に花を供えて手を合わせる日が来るなんて、思いもしなかったことだもの。




でも、あなただってきっとびっくりしているよね。


まだまだいっぱいやりたいことがあったはずだもの。


去年の夏は一緒に阿蘇に行くはずだったんだものね。


「そんなに長い休み取れないよー」と私が言ったら、


「大丈夫、行けるから。」と何を根拠に大丈夫と言ったのかわからないけど、


もしかしたら、あの頃からもう、なにかの遠い予感が


あなたの中にあったのかもしれない。


亡くなる間際も、いろいろ不思議なことがあったけど、


人間ってきっと第六感的に、そういうの、わかるんだろうと思います。




きっとまだまだ生きたかったに違いない旦那さんの思いと、


「死ぬ月日さえちょうどよい」という言葉に秘めた旦那さんの思いと、


両方を受け止めながら、


生老病死のはかなさに寂しさと悔しさがこみ上げたりしています。

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