被災地の風の思い出
震災当時私たちが住んでいたこともあって、東北地方には親近感があり、
関東に越してからですが、
震災で被災した場所に、ふたりで出かけたことがありました。
まだ時間が経たない頃は、被災した場所に行くのは罪悪感のようなものがあって、
被災地にわざわざ出向く…というのは避けていましたが、
そのうち少しずつ風が変わって来たころですから、ちょうど今から3~4年前だったでしょうか。
私たちが石巻の大川小学校を訪れたのは、ちょうどその頃でした。
(アルバムを調べてみたら、2018年の2月に訪問していました。)
ご存じのとおり大川小学校とは、
教師たちの判断のミスにより、
100名近い児童と教師が逃げ遅れて亡くなってしまった小学校です。
天災か人災か…というような話は抜きにしても、
いつ津波が来てもおかしくない学校の校庭に
児童たちを1時間も待たせた挙句に水死させてしまうなんて…と、
非常に関心をもって報道を視聴しており、
機会があれば一度出向いて手を合わせたい…と常々思っていました。
一時期テレビによく映っていた校舎です。
アルバムを見ると、その日は雲がどんより曇っている日でした。
被災前はちょっと現代風な小洒落た感じの校舎だったのだろうと思える校舎の残骸が、
なんとも痛ましく写っており、
その日は他に訪問者もなく、しんと静まり返っていました。
場所的には海に近く、太平洋から北上川を何キロか上ったところにありました。
旦那さんとふたりで、話す言葉もなくしばらくその場に佇みましたが、
それまでまったく吹いていなかったのに、
急にいきなり、非常に強い風が吹いたのです、しかも何度も。
それはちょっと不思議な感じがするほどでした。
海風ですから気温の変化か何かで、そのようなこともあるのかもしれませんけど、
その度にあおられて、まっすぐ立っていられずよろけるほどの強風でした。
そしてすぐに、ピタリと止んだのです。
急に吹いた強風が少しの時間で急に止み、あとはまたしんとして、空気も微動だにしない。
なんだか、何かの意思が働いているような気がしてなりませんでした。
旦那さんとふたりで、不思議なこともあるものだと驚きました。
「もしかしたら、ここで亡くなった子どもたちが何か言いたかったのかもね」とふたりで話し、
帰ってからも、テレビに大川小学校の映像が写るたびに、
「あの時の風は不思議だったねぇ」とふたりで話したものでした。
何をお話ししたかったかと言うと、
大川小学校の子供たちの無念のお話ではありません。
世の七不思議のお話でもありません。
あの時の風みたいな、ふたりだけで共有する、他の人は誰も知らない思い出を語る相手がいなくなった…ということです。
あの時の不思議な風を知っている人はもう誰もいないんだもんな…と寂しく思い出します。
もしかしたら、ほんとにあの時の風、子供たちが吹かせた風だとしたって、その不思議さがわかる人、もう誰もいないんだもんな…と思います。
そういう、ふたりだけの思い出ってまだまだたくさんあって、
もうそれを分かち合う相手もなく、術もない。
これは寂しい。…というか、悔しい現実です。