いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

なんとかなるかもね。

ここのところずっと休みの日に野暮用があり、


体力的には大丈夫だけど、気持ち的にちょっと疲れがたまっている気がします。


明日は仕事が休みなので、外出はせず少しのんびり、


またミシンで縫物でもしようかな、なんて思っています。


最近ミシンを出しても簡単にマスクばっかり作ってたりしてるので、


しばらくぶりでまた大作にでも挑もうかしら、なんて思っています。


(大作といったって、私の場合バックとかエプロンどまりですけど)




昨日、今年の3.11は終わったけれど、


やはり私の中では、その間に旦那さんと過ごした10年間(正確には9年3ヶ月)


のことばかりが思い出されました。


だから悲しくて切なくて泣いてばかりいて、そのせいの疲れもあるみたい。




初めて正確な数字を知ったのですが、死者行方不明者が22,200人とか。


単純に考えたら、


22,200人分の遺族の、悲しみと寂しさと後悔があったのかと思います。


それってもしかすると、今私の抱えている悲しさと寂しさと後悔の、22,200倍?


きっと、ものすごい感情の嵐なのでしょうね。


可視化したら、どんな感じに見えるのだろう。


悲しみだから黒?寂しさだから青?後悔だったら紫かしら?


22,200人分の遺族の感情がものすごい渦になって、


黒や青や紫色にトグロを巻いていたのかもしれません。






今の私の悲しみは、たぶんもう以前のような黒や青や紫の渦巻きではありません。


言ってみれば、床の上に沈殿しているというのかな?


激しくはないけど、たぶん少し固着してしまった悲しみです。


今は、自分の気持ちを守るために、悲しくなることはなるべく考えないようにしているし、


いつも何かで気を紛らわそうとしているし、


たぶんそうやって、これからもそれなりに長い間、


おそらくこの状態のままでしばらく過ごすことになるのだと思います。




そして、来年の3.11の日は、私は何を思うんだろう。


来年の今ごろも、私はミシンで縫物しながら気を紛らわそうとしてるのかな。


なんか悲しみが固着しきって、燃えカスみたいになっているような気もしますが、


燃えカスは燃えカスなりに、生きてりゃきっとそのうちなんとかなるかもね。

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