いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

過去

今まで書いてきたブログを少し読み返したのですが、


少しずつ少しずつ心境は変わってきているらしいです。





もちろん寂しい気持ち、逝かないで欲しかったと強く思う気持ちは変わりません。


旦那さんを想い、「なんで逝っちゃったのよ」と考えれば、


今でもすぐに涙が出てきます。




だから何かあったら私、いつでも簡単に「ウソ泣き」ができるなぁ、なんて思います。


泣きたいとき、旦那さんのことをパッと思い出せば、


すぐに涙出てくるもの。


……と、今朝の通勤時のクルマの中で、


旦那さんを思い出して泣きながら、そんなことを考えてました。





本当に私、この11ヶ月間でどれだけ泣いたのだろう。


泣く度に、涙が乾燥してメガネが汚れるから、


そのためにわざわざ、メガネ用の洗剤を買ったほどです。笑。


生まれてこのかた、こんなに泣いたことないし、


こんなにメガネを洗ったこともありません。




でも、泣く度に悲しみは浄化される…というのは、本当だと思います。


そして私の場合は、このブログがとても役に立ちました。


やっぱり、職場の同僚とか友人とかに、


そんなにたびたび苦しい気持ちを話すわけにもいかないから、


辛い気持ちを吐き出すのに、この場…ブログはとても役に立っています。


特に職場では、


仕事に没頭することで悲しみを忘れられるというのもありましたが、


全然悲しくも苦しくもないようなふりをして、


11ヶ月間やってきてしまいました。


だからもし、職場の同僚がこのブログを見たら、


すごくびっくりするだろうなと思います。




でも、少しずつ少しずつ時間は過ぎていて、


旦那さんが居ないことが、すっかり普通の日常になっています。


このアパートに越してきて一緒に過ごした時間より、一人で過ごした時間のほうが長くなることが、あぜあんなに怖かったのだろう。


1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と、月命日の回数が増えていくことが、なぜあんなに怖かったのだろう。


亡くなってからの時間が長くなることが怖かった…事には違いないのですが、


なぜそんなに怖かったのか、当時の気持ちはもはや、ぼんやりとしかわからなくなっています。




つまり、二人で過ごした時間が、すっかり「過去」になってしまうことが怖かったのだと思うのです。


だけど今、一緒に過ごしたことが、そろそろだんだん「過去」になってきてみると、


なぜそれがそんなに怖い事だったのか、が、ぼんやりとしかわからなくなっているのです。




それが時間というものなのでしょう。


寂しいけれど、そう思っていたことも、もはや「過去」なのです。

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