いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

昨年の明日は、倒れた日です

旦那さんが亡くなったばかりの頃に戻ってしまったような感じです。


職場の敷地を出たとたんに涙が出てきたり、


家にいても、旦那さんが居たころのことを思い出してばかりいます。





1年前のあの日、朝の6時ごろに、旦那さんは外の駐車場で倒れました。


前日、2階のお兄さんが、旦那さんのクルマのパンクを教えてくれたのです。


その時もう暗くなっていたので、


「明日の朝タイヤ交換してから仕事に出かけるよ」と旦那さんは言い、


結局翌朝、クルマの片輪をレンチで上げたところで、その場に倒れ込みました。


それが、昨年の6月1日の朝でした。




最初の頃、


「2階のお兄さんがタイヤパンクしたなんて教えてくれなきゃ死ななかったのに」とか、


やっぱりチラッと考えました。


でもよくよく考えれば、


もうその頃には旦那さんは、いつ倒れてもおかしくない体調だったわけです。


そして、私たち二人がいわゆる事実婚で、籍を入れていないことを考えれば、


もしその日、旦那さんが仕事に出かけた後に倒れたとしたら、


おそらく私には何の連絡も来なかったはずなのです。


旦那さんの一番近い血縁は隣の県に住む親族だったから、


連絡はそちらに行ったでしょう。


そして、ヘタをしたら本当に、


亡くなった後に風の便りに旦那さんの死を知ることになったかもしれないのです。




そんな恐ろしい事を考えたら、


倒れる前の日にパンクして、それを見つけて教えてくれた人がいて、


だから、レンチでクルマをあげた瞬間に旦那さんは倒れ、


私は、旦那さんが倒れてから息を引き取るまでを、ちゃんと見届けることができたということになります。




そんなことを考え始めれば、


どのできごとが偶然で、


どのできごとに、誰かの何かの意思が働いているのかわからなくなるような気がして、


私はそこに、誰かの何かの意思を感じたくなってしまいます。






さて。読んで下さっているみなさんへ。


今日も読んで下さって本当にありがとうございます。


今は私、なるべく考え込まないように気を付けていて、


家にいる間じゅう、何べんも同じビデオを見たり、


こまごまとした用事を済ませたりして、気を紛らわせています。


そして中でも、このブログが、一番役に立ってます。


なるべく正直に、そのまんまの気持ちを書いているつもりです。


だから、まるでパンパンに張ったゴムまりから少しずつ空気が抜けるようで、


なんとか自分を保つことができています。


そして、それを読んで下さっている皆さんが居て、


顔は見えないけれど、私の投げたボールを受け止めてくれる気がして、


安心してボールを投げ続けることができています。


多分今、このブログは、


私の生きるために欠かせないものになっている気がしています。


感謝です。

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