いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

遺したもの

例えば、旦那さんの使っていた引き出しとか書類ケースとか、


衣類収納ケースとかも、最近はあまり、開けてみないことにしています。


時々、気が向いた時にちょっとだけ覗いてみることはありますけど、


基本、ほとんどさわりません。




亡くなってから何ヶ月かした頃、


旦那さんの遺したいろんなものを、探してみた時期がありました。


引き出しはじめ、本棚とかタンスの中とか、収納ケースもそうだし。


何か、旦那さんが遺していってないかしら?と、思ったのです。


例えば、亡くなって数年後にラブレターが届いた…みたいな感じで、


そんな素敵なものではないにしても、


「ありがとう」とか、何かのメモでもよいから、


彼からのメッセージが何か遺っていないか、いろんな場所を探しました。





だけど、そんなこと、あるはずないんですよね。


第一、自分が近々死ぬ…なんてことは、考えもしなかったわけですから。


(無意識にはちゃんとわかってたらしいですけど。)




そんなわけで、しばらくの間は時々、あっちこっち彼の遺品を覗いてみたけど、


今はほとんど探さなくなりました。


逆に却って、旦那さんのもの、ノートでも洋服でも引き出しの中身でも、


見たら思い出して辛くなるから、今はなるべく触れません。





旦那さんの声も、スマホに少しだけ録音が残っているけど、


もう何ヶ月も、聞かないでいます。


スマホに声が遺っているのを見つけた時は、本当に喜んだのでしたが、


今は、気持ちが揺さぶられるのが怖くって、聞けないのです。



でも、あんまり聞きたいとも思わないのですよ。


聞いたら寂しくって、涙がボロボロ出てくるのを何度も経験してるから。


だって、もう、録音された言葉以外、彼の言葉は聞けないのですものね。


私の名を呼ぶ声も。


大好きだよという声も。


(録音されているのは、「今から帰るよー。〇時〇分到着ね!」というものです。)





でもね、


そろそろスマホは古くなって買い替えの時期だけど、


このスマホはずっと手元に、お守り代わりに置いておくのだろうと思います。


思い出すと辛くなるけど、


思い出は取っておきたい。


死別者の複雑な、ちょっと勝手な心理です。

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