いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

他人から必要とされること?

休み、二日目です。


昨日と今日がお休みでした。


いつも連休前はウキウキするのだけど、


いざ休み二日目になると、なんだかむなしくなっちゃいます。


ただただ休みの時間をつぶすだけ…で、テレビ見ながら終わっちゃったり、


目的もなく買い物に行くから、必要のないものを買っちゃったり、


充実感とか生産的とかいう言葉とは、あまりにかけ離れた休日に、


「なんだかなー」と思いながら、休みを終えるのが常です。





昨晩、しばらくぶりで友人と長電話をしました。


前にもこのブログに書いたことのある女性で、


旦那さんが亡くなった時にとてもお世話になった人です。


今までも悩みを聞いてもらったり、いろんな話をしてきたのですが、


昨晩も、話しているうちにいきなり「生きがい」の話になりました。





人生もすでに折り返した中年女が、いまさら生きがいの話?と自分で思ったけど、


友人と話しているうちに気が付いたのですが、


私にとって、旦那さんを失ったことは、


「私を必要としてくれてる人を失ってしまった」ことでもあるようなのです。


それってある意味、どうやら私にとって、


「生きがい」を失った…ということと、ニアリーイコールでもあるらしいです。




単純な話、旦那さんが生きていたときは、


私の作ったご飯を食べてくれたり、一緒に楽しくドライブや旅行に行ったり、


彼はそれなりに、いつも私を必要としてくれていました。


だけど今、私には子供がいるわけでもないから一人で暮らしていて、


言われて見れば、「私を必要としてくれてる人」って周りに見当たらないのです。


職場でも、別にそんなに経験豊富なわけでもない普通の事務員さんだから、


替えが効かない人材と言うわけでは全然ありません。




友人と話しているうちに、


最近寂しさとともに、小さなむなしさを感じてしまうのは、


そのせいだ…ということに気が付きました。





他人から必要とされること…か…。


もちろん他人から必要とされなくても、他に何か、生きがいと呼べるものを見つければよいわけだけど。


生きがいか…。


んーーー。今さら難しいなぁ。(溜息)。

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