他人から必要とされること?
休み、二日目です。
昨日と今日がお休みでした。
いつも連休前はウキウキするのだけど、
いざ休み二日目になると、なんだかむなしくなっちゃいます。
ただただ休みの時間をつぶすだけ…で、テレビ見ながら終わっちゃったり、
目的もなく買い物に行くから、必要のないものを買っちゃったり、
充実感とか生産的とかいう言葉とは、あまりにかけ離れた休日に、
「なんだかなー」と思いながら、休みを終えるのが常です。
昨晩、しばらくぶりで友人と長電話をしました。
前にもこのブログに書いたことのある女性で、
旦那さんが亡くなった時にとてもお世話になった人です。
今までも悩みを聞いてもらったり、いろんな話をしてきたのですが、
昨晩も、話しているうちにいきなり「生きがい」の話になりました。
人生もすでに折り返した中年女が、いまさら生きがいの話?と自分で思ったけど、
友人と話しているうちに気が付いたのですが、
私にとって、旦那さんを失ったことは、
「私を必要としてくれてる人を失ってしまった」ことでもあるようなのです。
それってある意味、どうやら私にとって、
「生きがい」を失った…ということと、ニアリーイコールでもあるらしいです。
単純な話、旦那さんが生きていたときは、
私の作ったご飯を食べてくれたり、一緒に楽しくドライブや旅行に行ったり、
彼はそれなりに、いつも私を必要としてくれていました。
だけど今、私には子供がいるわけでもないから一人で暮らしていて、
言われて見れば、「私を必要としてくれてる人」って周りに見当たらないのです。
職場でも、別にそんなに経験豊富なわけでもない普通の事務員さんだから、
替えが効かない人材と言うわけでは全然ありません。
友人と話しているうちに、
最近寂しさとともに、小さなむなしさを感じてしまうのは、
そのせいだ…ということに気が付きました。
他人から必要とされること…か…。
もちろん他人から必要とされなくても、他に何か、生きがいと呼べるものを見つければよいわけだけど。
生きがいか…。
んーーー。今さら難しいなぁ。(溜息)。