いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

生きようとすること

旦那さんが亡くなってからの経緯を思い起こすと、


苦しかったなぁ…とつくづく思います。


今現在はとりあえず、沈殿したような寂しさと悲しさの苦痛があるけれど、


寂しさと悲しさが沈殿し始まる前の…、最初の9ヶ月間というのが、


私の場合、本当に地獄でした。




でも、正直、よく覚えていないのです。


ただただ、旦那さんのことと、旦那さんとの生活を思い出して、


泣いてばかりいました。


泣いたし、吠えたし、叫んだし、歯ぎしりしたし、髪をかきむしったし。


本当に一生分くらいの慟哭でした。





きっと、これからの未来が想像つかないという不安も強かったのだと思います。


今までずっと脇にいた人が、ある日忽然と消えてしまい、


何かを一人で考え、一人で決断して、一人で遂行する…ということを、


しばらくしていなかったので、


その寂しさと不安から、まるで迷える仔羊状態だったのかもしれません。




そして私の場合、ほぼ9ヶ月ぐらい経った頃から、


このままの状態を続けていたらダメになってしまう…という気持ちと、


ひとりでも何とか生きていかなくちゃ…という意欲というか、義務感というか、


そんな気持ちが少しずつ芽生えてきたような気がします。






だから逆に言うと、初めの9ヶ月間というのは、気持ちがめちゃくちゃで、


自分でよく病気にならなかったものだと思います。


死別者の皆さんがそうだと思いますが、


あんな状態でも、人間って生きようとするものなのですね。


最愛の相手を失ってしまって、


もう二度と会えないことを受け入れなければならなくて、


悲しくて寂しくて、


掻きむしるような苦痛と、どうしようもない錯乱状態に陥りながら、


それでも、人間って生き続けようとするものなのだと。




多少でもご飯を食べたり、仕事に行ったり、お風呂に入ったり、睡眠を取ったり。


食欲がなかったり、寝られなかったりはしたけれど、


だけど少なくとも、そうしようと努力した姿って、


我ながら素晴らしい事だと思います。




そうやって通り過ぎてきた今までの事を思うと、


今少し、沈殿した寂しさや悲しみとともに、


少しだけ自分を信頼できる気持ちが芽生えているような気がします。


これも含めて、すべては旦那さんからのプレゼントなのかもしれません。


最近の私は、


「生きていきたい」とは思わないけど、


あの人が居なくても「生きて行かなくちゃ」と思っています。

×

非ログインユーザーとして返信する