心にすきま風
私が足が悪いから、何かあったら危ない…と思ってくれていたらしく、
お風呂はいつも一緒に入っていたのです。
私が一足先に入って、私が湯船につかっている時に、
旦那さんがお風呂に入ってくるという、時間差でいつも入浴していました。
私が危険な目に合わないようにということもあったけど、
ガス代と水道代の節約にもなったし、
せまい湯舟に2人で浸かっておしゃべりするのは、とても楽しいものでした。
時間差なので、毎回、私が浴室から旦那さんを呼ぶわけですが、
「はぁ~い」という返事がとてもなつかしいです。
「はぁ~い」というよりは、どちらかというと「ふぁあぁい」みたいな返事で、
いつも同じ調子で返事を返してくれてたから、
それがとてもなつかしいです。
亡くなってしばらくは、私がお風呂に入ってて、呼んでも何故その声が聞こえないのか、
よくわからないような気がしました。
私がお風呂に入っている時は、旦那さんはいつもリビングでテレビ見ているはずなのよ。
だから、呼べば必ず返事をして、シャツとパンツを脱いでお風呂に入ってくるはずなの。
それが何年も何年も何年も、ずっと続いていたんだから。
今日も、呼べば必ずその声が聞こえるわけなのよ。
今日は何故呼んでも返事が聞こえないのか、理由がわからない。
………、暫くの間は混乱してしまっていて、
ある意味、あの人が生きていることが本当なのか、死んでしまったことが本当なのか、
よく理解できていませんでした。
だから、姿が見えないお風呂場からあの人を呼べば、
すぐにお風呂に入ってきてくれるような気がしたの。
それが当時の私でした。
今も、浴室から出る瞬間、湯舟を見る時、
湯舟に旦那さんが入っていないことに、見る度、毎日、違和感があります。
なぜ、あの人が湯船に入っていないの?
私がお風呂を上がる時は、必ず湯船にあの人が入っていて、
目をつぶって明日の仕事の事を考えていたものなのに。
なぜあの人が入っていないの?
なぜ湯舟にお湯しか見えないの?
今でも、何だかその度に、
「あぁあの人はもう居ないのだった」と小さく再認識させられて、
心にちょっとすきま風が吹くような思いがします。