4年前と4年後
冬季オリンピックも終わってしまいました。
ついこの間始まったと思ってたら、もう終わりだって。
正直、羽生君と女子カーリングをちょっと見ただけで終わってしまいました。
閉会式のテレビが流れていて、
アナウンサーが「それではまた4年後に…」と言う言葉を聞いて、
ちょっとぞっとした私です。
あと4年後って言ったら、私〇〇歳じゃん。
4年後はイタリア? 第一私、その頃まだ生きてるのかしら。
逆に、4年前と言ったら平昌でしょ。
そのころはまだ旦那さんは生きてたし、
私がお勝手する横で、テレビでオリンピックも見てたし、
でも、閉会式を見ながら、彼はどう思ったのかしら。
4年後まさか自分が、居ない?
そんなことって、ちらっとでも想像ついたのかな。
生きとし生けるもの、命はいつか必ず費えるものだから、
「4年後に自分が居ない」ことを、
彼の想像力の10分の一くらいでも、考えは及んだのでしょうか。
4年後の私。
生きてれば、〇〇歳になっている私。
その時の私にとって、あなたって、どんな存在なのでしょう。
そして、私はどんな気持ちで毎日を送っているのでしょう。
正直、よいイメージが全然沸きません。
ただただぼんやり、生きるしかばね状態で生きてるのかなぁ。
4年後、私は居なかったら、それはそれでよいかな。