みんな平等に、同じ分だけの幸せ。
あの人は幸せだったんだ、と思い込もうとする時があります。
「思い込む」というのは正確じゃないな、
旦那さんは、お金持ちでも、すごくハンサムなわけでもなかったけれど、
特に取り立てて不幸せな人だったとは思わないです。
あの人は幸せだったんだ、と考えることで、
彼に関する悲しい思い出を振り払う、という言い方が近いかもしれません。
彼に関する悲しい思い出とは、
例えば、
駐車場で倒れている旦那さんを見た瞬間とか、
救急車に乗せられて、「俺は大丈夫だよ」と言っている姿とか、
魂の抜けてしまった彼に寄り添っている時とか、
そういった類の思い出です。
そういう事をふと思い出した時、たまらなく悲しく寂しく、
長生きできなかった旦那さんが可哀そうにさえなってしまうのだけど、
そういう時は、必ず、
「あの人は幸せな人生を送ったんだから。」と自分に言い聞かせることにしています。
人間はみんな、幸せは同じ分だけ神様からもらえるものだと思うことにしているのです。
そう思えば、自分でちょっと納得できるから。
「あの人は幸せだったんだから。
神様は人間みんなに平等なんだから、
旦那さんは生前楽しく生きられたのだから、よいの。」と思って、
振り払うというか、
あきらめるというか。
もう、変えられない過去は、絶対に変えられないので、
そのまんまの事実を何とかして飲み込むしか、方法はないです。