いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

付加価値

だんだんやっと、日常が戻ってきた感じです。


上司から異動を告げられた3月初旬からこっち、


ずっと落ち着かない日々を送って来てました。


…別にそんな大仰なことではないのですが、


私の生来の気の小ささが手伝って、


自分自身で大仰なことにしてしまっていた嫌いがあります。




春風が吹いて、その風で桜が散って、


そろそろストーブの石油の入れ方を加減しないとなぁ…なんて、


そんな平和な心配をして、


あぁ幸せだなぁ…と思う瞬間です。


だけど、その反面、


この平和な春の日に、旦那さんが居たらもっと幸せなのになぁ…と、


どうしても考えてしまう私です。





平和な日常が戻って来て、


ちょうど職場の人から戴いた山東菜があったから、


明日のお弁当のおかずもかねて、油揚げと煮てみることにしました。




あ、そういえば、話がちょっとそれてしまいますが、


ひとり暮らしのゴミの量って、部屋の主の暇さ加減と比例するみたいですね。


私の住んでいる市では、市のゴミ袋が決まっていて、


私はひとり暮らしをするようになってから、初めて10リットルの袋を使うようになったのだけど、


忙しい時はその10リットルのゴミ袋さえ、スカスカな量のゴミしか出ないのです。


時間がのんびりしている時はゴミも普通の量だけど、


忙しくなれば、まず料理を作らなくなるし、


私の帰宅時間が遅くなるということは、そもそも家に人間が居る時間が少なくなるわけだから、


生活ゴミの量が少なくなるって、当たり前は当たり前な事なんですけどね。


でも、旦那さんが居た時はそんなことなかったわけで、


忙しいか暇か、が、顕著にゴミの量に現れるって、


「これがひとり暮らしってものなのかぁ。」と妙に感心した覚えがあります。




そして、なぜ急にゴミの話をしたかと言うと、


生活が落ち着いてきて、出すゴミの量もちゃんともとにもどりましたよ、という


そういう話をしたかっただけなのでした、失礼しました。失笑。







さて、話は山東菜に戻ります。


山東菜と油揚げを薄味で煮ようと思って、


邪道だけどめんつゆを使うことにしました。


めんつゆ…というと、うちの旦那さんは「桃屋の大徳利」が大好きだったので、


買い溜めしていたのが何本か、そのまんま残ってるのです。


私は麺喰いではないし、


料理も今は簡単に、やっても炒め物とかで済ませちゃってますし。


第一、桃屋の大徳利は高いので、煮物に使うなんてもったいなくて、


料理に使う用の安いめんつゆと、いつも2種類置いていたものでした。




でも、桃屋の大徳利も、麺喰いではない私にとって、


今となっては全然なんの付加価値もありません。


第一、消費期限もあるしね。


なので、


今日の山東菜と油揚げの煮もので安いめんつゆを使い切ってしまったので、


今度から煮物作る時には、


桃屋の大徳利をドバドバと使うことにしようと思っています。




そして。そうやって、いろんなことが変わっていくのよね…と、


結局そこに落ち着きます。

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