いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

忘れること

夕食を食べようとして、


自分のご飯茶碗を食器棚から出したとき、


「あれ?」と思いました。


そういえば旦那さんのお茶碗って、どんな模様だったっけ?


自分でも驚いてしまったのですが、すっかり忘れているのです。




亡くなってすぐの頃、


旦那さんの持ち物を見ると悲しくて、


見たくないのだけど、どこかに閉まってしまうのも罪の意識を感じて、


見るたび見るたび涙ぐんで、辛くてどうしようもなかったのを思い出します。



でもしばらくして、やっと、


見ると辛くなるものを、目につかないところに閉まえる日が来ました。


ご飯茶碗もその一つでした。


ご飯茶碗や愛用のコップやお箸。


捨てるなんて、悲しくて寂しくて申し訳なくて絶対できないけれど、


見えないところに閉まってしまおう。


シンク下の、ほとんど出し入れすることのない場所に、


新聞紙に包んで閉まってしまいました。




それから、1年半くらいかな。


さっき、ふと気づいたら、思い出せないのです。


お茶碗の形状も覚えてるし、


紺色がベースの柄だった…と言うことまではわかるんですが、


どんな模様だったのかが、全然思い出せないのです。




年のせいですね。


年齢のせいにして、自分を責めることはせずに、とりあえず済んだのですが、


つまり、要するに、


彼の時間は止まっているし、私の時間は流れている…ということですね。


時が流れて私が生きている限り、


少しずつ少しずつ、私は過去の事を忘れます。


確実に記憶は薄れてしまいます。


それが現実で、寂しいけれど仕方がない。




あえて、シンク下からお茶碗出して確かめることはしませんでした。

×

非ログインユーザーとして返信する