神様との事前の約束?
悲しいけど、
2年前の今ごろは、
旦那さんはもうICUからSCUにベッドを移動させられてしまって、
シーンとしたその部屋で、ひとりで静かに横たわっていました。
SCUとは脳卒中集中治療室という意味だそうです。
よくテレビで見るICU…集中治療室は、
いろんな電子音が鳴っている中を、お医者さんや看護師さんが飛び回っている
緊迫したイメージですけど、
少なくとも旦那さんが運ばれた病院のSCUは、まったく違っていました。
普通の一人部屋より若干広い病室に、ベッドがひとつがあって、
普通に脈や体温など測る計測器があって、
点滴をして、酸素マスクをして…という。
まるっきり普通の病室でした。
なので私には、一見して、
生命維持の可能性が低いため、ICUには置いておけない患者を収容する場所、
のように見えてしまいました。
でもきっと、私の想像は実際とそんなにかけ離れたものではないと思います。
看護師も何人かが、のんびりステーションに居る、という感じでしたしね。
何より、本当に、病棟自体がシ~ンとしていました。
やむを得ないことではあったのだと思います。
市内で一番大きな総合病院で、
救急車で重症患者が引きも切らず運ばれてくる病院なのです。
それにまた、コロナの第一波の緊急事態の最中で、
却ってよかったのだと思っています。…私のために。
集中治療室であるため、面会制限は常時からあるのでしょうけど、
旦那さんの死に目に会えなかったことに、
「コロナだから仕方がない」とあきらめがついたことです。
もしコロナがなかったら、
いくら面会制限があったにしても、
彼が息を引き取る時に、ベッドサイドに居なかった自分を
なかなか許すことができなかったような気がします。
だけど、あの頃はちょうど、第一波が猛威を振るった直後であったため、
私たちは、いろんなことを自粛したり、
手放したり諦めたりすることが、
ある意味日常になっていて、
だから、旦那さんが息を引き取る時にその場に居られなかったことも、
やむをえない事だったのだ…と、
自然な流れでとらわれずに、
自分を責めずに済んだのだと思うのです。
その後も神様の思し召しで、
旦那さんが亡くなった後も、
コロナのせいで、夏祭りや花火が自粛になったり、
それどころか旅行や外食さえ自粛のムードになったりして、
私は、一番苦しい時に、
「私以外の誰かが家族と生活を楽しんでいる場面」を見ないで済んできました。
ある意味、本当に運がよかったのだと思います。
…というか、
やっぱり旦那さんが、事前に神様と打ち合わせをして、
「じゃあ、6月1日に倒れることにして~、
あ、ソレは3日の早朝あたりにしときますか。」
なんて言ってたんじゃないだろか…なんて、
不謹慎なことを考えて、苦笑している私です。,
明日の早朝を過ぎると、
旦那さんが息を引きとってから、
2年が経過したことになります。