いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

神様との事前の約束?

悲しいけど、


2年前の今ごろは、


旦那さんはもうICUからSCUにベッドを移動させられてしまって、


シーンとしたその部屋で、ひとりで静かに横たわっていました。



SCUとは脳卒中集中治療室という意味だそうです。


よくテレビで見るICU…集中治療室は、


いろんな電子音が鳴っている中を、お医者さんや看護師さんが飛び回っている


緊迫したイメージですけど、


少なくとも旦那さんが運ばれた病院のSCUは、まったく違っていました。




普通の一人部屋より若干広い病室に、ベッドがひとつがあって、


普通に脈や体温など測る計測器があって、


点滴をして、酸素マスクをして…という。


まるっきり普通の病室でした。


なので私には、一見して、


生命維持の可能性が低いため、ICUには置いておけない患者を収容する場所、


のように見えてしまいました。


でもきっと、私の想像は実際とそんなにかけ離れたものではないと思います。


看護師も何人かが、のんびりステーションに居る、という感じでしたしね。


何より、本当に、病棟自体がシ~ンとしていました。





やむを得ないことではあったのだと思います。


市内で一番大きな総合病院で、


救急車で重症患者が引きも切らず運ばれてくる病院なのです。





それにまた、コロナの第一波の緊急事態の最中で、


却ってよかったのだと思っています。…私のために。


集中治療室であるため、面会制限は常時からあるのでしょうけど、


旦那さんの死に目に会えなかったことに、


「コロナだから仕方がない」とあきらめがついたことです。




もしコロナがなかったら、


いくら面会制限があったにしても、


彼が息を引き取る時に、ベッドサイドに居なかった自分を


なかなか許すことができなかったような気がします。


だけど、あの頃はちょうど、第一波が猛威を振るった直後であったため、


私たちは、いろんなことを自粛したり、


手放したり諦めたりすることが、


ある意味日常になっていて、


だから、旦那さんが息を引き取る時にその場に居られなかったことも、


やむをえない事だったのだ…と、


自然な流れでとらわれずに、


自分を責めずに済んだのだと思うのです。




その後も神様の思し召しで、


旦那さんが亡くなった後も、


コロナのせいで、夏祭りや花火が自粛になったり、


それどころか旅行や外食さえ自粛のムードになったりして、


私は、一番苦しい時に、


「私以外の誰かが家族と生活を楽しんでいる場面」を見ないで済んできました。





ある意味、本当に運がよかったのだと思います。


…というか、


やっぱり旦那さんが、事前に神様と打ち合わせをして、


「じゃあ、6月1日に倒れることにして~、


あ、ソレは3日の早朝あたりにしときますか。」


なんて言ってたんじゃないだろか…なんて、


不謹慎なことを考えて、苦笑している私です。,





明日の早朝を過ぎると、


旦那さんが息を引きとってから、


2年が経過したことになります。

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