いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

命日

今日の朝、


旦那さんが天国に行ってしまって2年が経ちました。


とても苦しい2年でしたし、それは今後も続きます。


あの人と一緒に過ごした12年間、


生きることは楽しい事のほうがずっと多かったけど、


おそらくもう、そんな時は二度と来ないはずです。


寂しくわびしい気持ちで送る苦しい余生ではあるけれど、


でも、生きるしか方法がないから生きていく。


そんな、生きていく事にひどく消極的な生命体です。




旦那さんが息を引き取ったのは、


2年前の6月3日の、朝の6時前です。


(お医者さんが死亡診断をしたのは7時を回ってからでしたし、


寂しいSCUで、看取りがいない状態で息を引き取ってしまったので、


正確な時間はわからないままになってしまいました。)


(病院から電話がかかってきた時間は、スマホに残っているのですが、


それを今、敢えて見る気持ちになりません。)


なので、正確な時間はわからないのですが、


今朝、いつものように朝6時に目覚ましで起きて、


起きた瞬間に「あぁ、2年経っちゃった。」と思いました。




沸いた感情は、ふたつありました。


ひとつめの感情は、


旦那さんの亡くなったあの日が、だんだん遠い日になっていってしまう淋しさ、です。


旦那さんの時はあの日で止まったまんまで、


私の時間ばかりが進んでいる現実は、


2人が住む世界は今やまったく別なのだ、ということを叩きつけられるようで、


得も言われぬ淋しさがあります。




沸いた感情のふたつめは、矛盾するようですが、ほっとする思いです。


少し前から、今日を迎えることが怖くて怖くて仕方がありませんでした。


早く言えば、


旦那さんが亡くなってまる2年が経つことによって、


自分にどんな気持ちが沸いてくるのか、わからなかったからです。



この2年間、私は、旦那さんの死という想定外(?)なできごとに直面して、


いろんないろんな感情に振り回されてきました。


悲しみや寂しさというマイナーな感情ももちろんあったし、


逆に、自分でも意外なレジリエンス的な力に驚いたこともありました。


旦那さんの死を介して直面する場面場面で、


感謝の気持ちが沸くようになったことも驚きのひとつです。




でも如何せん、感情の振れ幅にはまだ問題が残っていて、


旦那さんを思い出して急に悲しくなったり、


逆に、頑張るぞー、と闘志が湧いてきたり、


「おちつき」とか「おだやかさ」という気持ちには、


まだまだ縁遠いところが残っています。




なので、2年目の命日を終えようとしている今、


とりあえずは自分自身の感情に振り回されることなく、


無事に今日一日を終えることができることに、ほっとしているところです。



でも結局、私はまだまだ、


旦那さんの死をきちんと受け入れている状態ではないのだなぁと、


思い知った、旦那さんの2回目の命日になりました。

×

非ログインユーザーとして返信する