受容のための儀式
観光船カズワンの沈没事故から2ヶ月が経過したそうですね。
まだ見つかっていない方が12名、とニュースで報道していました。
ご遺族(と言ってよいのかどうかわかりませんが)の気持ちを考えると、
言葉がありません。
以前もお話したことありましたけど、
家族や親しい人の死に直面した時に、
例えば、ご遺体と会う、とか、お通夜やお葬式に参加する、とか、
そういう事って、人の死を受け入れるのに必要な儀式なんだそうですね。
私の場合も、旦那さんの死からしばらくして、比較的冷静になってから思い返してみると、
自分が旦那さんの遺体の横に座っているところとか、
お棺に収められた姿とか、
お葬式の状況とか、
焼きあがったお骨を壺に入れるために砕く音とか、
(たぶん一生頭から離れない)いくつかのシーンが思い起こされるけど、
でも、そのひとつひとつのシーンが(思い出すととても辛いけど)、
「死」を受容するための、とても大事なひとつひとつの部品(?)だったことは、
経験者として、すごく納得がいく事実です。
だから逆に、そういう過程を経ずに、大事な家族や親しい方の死を受け入れなければならない方たちが、
私たちの比較にならないほどお辛いのだろうな、ということは容易に想像がつくことです。
この度の事故で亡くなられた方にご冥福をお祈りするとともに、
行方不明の方には、どうか見つかってください…と祈るしかないです。
ご遺族の方には、おかけする言葉も見つからないですけど、
どうか少しずつ、生きていくためのエネルギーを取り戻してくださいね、と言いたいです。