いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ネット記事を読んで

ネット記事を読んで、昭恵さんが気の毒になりました。


昭恵さんは、安倍さんが亡くなって2日目に、


「私、本当に一人ぼっちになってしまいました。」と語ったそうです。


私が、旦那さんを失ってひとりぼっちだ…と、孤独を感じたのは、


もう少し時間が経ってからだったような覚えがありますが、


個人差があるんでしょうね、きっと。




旦那様が地位のある人だし、時の人でもあるわけだから、


昭恵さんの周りには、まだ、たくさん人が居るのだと思います。


それに私の経験上、49日が済むまでは、


少なくとも、自分の旦那さんが死んだとか、


そのために寂しくなってしまったとか、


周りに誰もいない孤独…などは、


ちゃんとしっかり感じ取る、いとまはありませんでした。




だけど昭恵さんは、亡くなって2日で孤独を感じるなんて、


やっぱり勘の鋭い人なのかもしれません。


それか、私達なんかよりずっとずっと、


人生の波にもまれて、社会の怖さも知っているのだろうから、


だから周りに人は居ても、ひとりぼっち、と、


すぐに孤独を感じてしまったのかもしれません。(まるっきり想像ですけど。)







ところで記事は、


「安倍元総理その人の死の意味をいつまでも問い続けることが、


昭恵夫人にとっての弔いなのだろう。」と結んでありました。




へぇ、と思いました。


亡くなった夫の死の意味?


大切な人の死に、意味づけ?




元総理大臣の死なのだから、


意味を考えるなら社会がやるべきことで、ご遺族が考えることではないと思います。


しかもまだ亡くなって日が浅いのに。


申し訳ないが、なんだか少し、言葉遊びのような気がしました。


大切な家族の死に意味づけなんて、そんなの、近しい人が亡くなった経験がないからそんなこと言えるんだよ。




私だって、未だに旦那さんの死について、意味づけなんてできないし、


第一したくもありません。


日が過ぎて、少し落ち着いて考えられるようになって来れば、


亡くなった旦那さんに感謝できるようになったとか、そういうことはあるけど、


それはあくまでも、後付けの「意味」なので、


遺族が考えたり探したりするような質のものではないはずです。





ネット記事…と言っても、週刊新潮の掲載記事だそうですが、


大衆週刊誌の記事に、ケチをつけたって始まりません。


ムカついてますが、腹を立てるのもばからしいので、寝ます。

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