いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

いつの間にか…。(2)

昨日書いた古い小屋のような家は、


今日、仕事帰りに見たら、


建物が全部なくなっていました。


解体って本当にあっという間ですね。


まだ木材とか瓦礫とかいろいろ残ってますけど、


すっかり空間が広がって、


前住んでたアパートが、道路から丸見え状態になってました。




そのアパートから小道を下って来ると、


国道に出る手前に、小屋のような家が左手に見えたものです。


木造で、屋根も壁も黒茶色がかっていて、


木の枝や草やらで緑に覆われてて、


ガラクタ的なものが投げ出されていて、


老人夫婦の生活が伺える風景でした。




だけど今や、重機があったり作業服を着た兄ちゃんが居たり、


すっかり「現場」になっていて、


枝も草も掃われちゃって、


ご夫婦の生活感はどこかに吹っ飛んで行ってしまったようです。




あのご夫婦はどうしたのかなぁ。


やはり時が過ぎて、老人ホーム? 病院? はたまた草葉の陰?





生きてる人全員に、平等に、時間は過ぎるんですね。


だもの私達の幸せだって、永遠に続くはずがなかったわけです。







部屋に戻って一人きりで、ご飯をよそって晩ご飯を食べながら、


ふと、旦那さんのご飯茶碗を仕舞った時のことを思い出しました。


確かまだ、そんなに時間が経っていなくて、


ともかく思い出すものを見たくなかったから、


お箸と汁碗とご飯茶碗を、新聞紙にグルグルと包んで、


シンク下の空きスペースに放り込みました。





そして、そのまんまになってます。


旦那さんが最後の晩に使った食器類を、


そんな粗末な放り込み方をして申し訳ないし、


切ない思いになるのだけど、


まだ、今、シンク下からそれらを引っ張り出す気にはなれません。




旦那さんの使ってた白地に青の模様のお茶碗と、


笠間で買ったお揃いの汁椀。


新聞紙をガサゴソと開いて、その思い出の品を見るなんて。


とてもとても。


傷口を開いて、塩を刷り込むようなこと。


とてもとても。


まだまだ時間が必要なようです。

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