いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

広島も、花火も。

今日は広島の原爆記念日ですね。


77年前だったのだそうですが、


その頃、戦時下で家族を失う気持ちって、どんなだったのでしょうか。





もちろん想像でしかないですが、


文献など見ると、


「感覚がマヒしていた」と書かれているものがあったのを思い出します。


食料もままならない、空襲がいつ起こるかわからない、


そんな環境に暮らしていれば、


大事なご家族を失うことについても、


もはや、恐怖や悲しみなどの感情は、確かにマヒしてしまうのかもしれないです。





そしたら。


家族を失っても、当時の人たちって、


いまの私達とは違ったのかしら。


こんなに悲しかったり苦しかったり、寂しかったりしなかったのでしょうか。



まぁもちろん、例えば戦地に赴いている旦那さんの死亡通知を受け取っても、


もう召集された時点で、ある程度あきらめもついていたかもしれませんけれど。



それに、もし旦那さんが戦地で死んだという知らせを受けても、


当時は周りにもたくさん、戦没者遺族と呼ばれる人が居ただろうし、


そういう意味では、助け合いとか励まし合いとか、そこらへんの自助作用は、


しっかり機能していたかもしれないですね。




最初から話がずれましたが、


何で広島の話をしたかというと、


私達、かつて2人で広島を訪れたことがありました。


幾つかの観光地に行きましたが、平和記念公園もそのひとつで、


だから今日あたり、原爆ドームや原爆の子の像, 死没者慰霊碑など見ると、


別の感情( ふたりで行った懐かしさや寂しさ)が沸き出てきて、


戦没者やご遺族の方には申し訳ないような気持ちになってしまいます。






話は変わりますが、


今日はとうとう、地元で何度かある花火大会の開催日でした。


割と大きな大会で、旦那さんが生きている頃は2人で何度も見に行った場所です。



昨日あたり「花火、観に行こうかな?」なんてちらりと思ったけれど、


結局行かなかったです、今日のところは。



花火は奇麗だし大好きだし癒されるから、


気晴らしを兼ねて見に行こうかなとも思うんだけど、


幸せだった過去の時間を思い出すの嫌なんですよね、結局。


そしてそれから、


夫婦とか家族連れとかが、お祭りを楽しんでいるのを見るのも腹が立つ、


…という理由もあります。失笑。



花火の時間、家に居て、


もしかしたら打ち上げ花火の音が聞こえるかな?と身構えていたけど、


全然聞こえませんでした。


だけど、9時前頃になったら、


外の駐車場に帰ってくるクルマの音が何度か聞こえて、


「このアパートの住人も、花火観て帰って来たんだな」と思ったら、


なんだかちょっと、面白くありませんでした。




まったくもう。


広島にしろ花火にしろ、


なんだか今日は、振り回されちゃったような気がして、


すっかり疲れてしまいました。


明日は少し遅寝することにします。

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