供養
一日じゅう、家に居ました。
こまごま用事があったからではありますけど、
特に寂しくなるわけでもなく、
まるで旦那さんが居た時と同じように、
フツウに一日を過ごしました。
本当に、「居ないこと」が普通になっちゃったと思います。
もちろん、思い出して泣いたり、寂しくて落ち込むことはあるけど、
でもむしろ、それが特別なことになってしまっています。
毎日毎日、淡々と過ぎて、
朝起きてご飯を食べて、テレビや電灯を消して鍵を閉めて、職場に行き、
仕事が終わると、帰って来て鍵を開けて、
朝から何一つ動いていない、そのまんまの暗い部屋に入り、
電気をつけてカーテンを閉めて、夕飯食べたりテレビ見たりして、お風呂入って寝る。
毎日毎日、その、繰り返しです。
亡くなってしばらくは、
何かする度、その都度その都度、旦那さんの思い出が頭をよぎり、
悲しくて寂しくて、
机に突っ伏して泣いたり、写真を前にして泣き叫んだり、
毎日毎日、激情の嵐が半端じゃなかったですけど、
今はそんなことも、極まれになりました。
月日は過ぎたのだなぁ、と思います。
今日は、実は2年ぶりに、ヘアブラシを洗いました。
不潔だなぁ、と思わないでくださいね。 洗えなかったのです。
もちろんブラシに付いてしまったゴミとか私の髪の毛などは手で取ってたけど、
洗剤付けてゴシゴシ洗って、根こそぎキレイにすることが、
どうしても、できませんでした。
なぜなら、旦那さんも、そのブラシをよく使っていたからです。
だから間違いなく、彼の髪の毛もブラシに残っているはずで、
それを取り去って捨てることが、今までどうしてもできなかったのです。
だけど昨日、とうとう、洗剤付けてゴシゴシ洗うことをしました。
ちょうど、もう一本使っている別のブラシをそろそろ洗いたくなっていて、
じゃあ、2本併せてゴシゴシやって、どっちもキレイにしてしまおうと。
割とあっけなく、髪一本残っていない新品のような状態にしてしまいました。
前にも書いたことあるけど、
どっちにしろ髪の毛って、結局どちらの髪だか区別がつかないから、見つけてもしょうがないんですよね。
それに、髪の毛は、
彼が亡くなった時に、病室のベッドに抜け落ちていた髪の毛を3本、
大事に持ち帰って、可愛いフクロウの小物入れに入れて、彼の写真の脇に置いてあります。
そしてもう一つ。
旦那さんは、私がいつまでもメソメソしているのは好まない筈で、
彼が使っていたヘアブラシを洗っちゃったからと言って、
怒りはしないと思うわけです。
ともかく、好むと好まざるとに関わらず、
確実に月日は経過します。
だから私は、自然に身を任せようと思います。
「こう思っちゃダメ」とか、「こうしたほうがよい」とか、
余り自分を縛りたくない、ことこのことに関しては。
自然な流れに身を委ねて、
泣きたいときは泣き、笑いたいときには笑い、
それが多分、一番の供養になると考えます。