いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

不自由さと淋しさと

私の身近にも、コロナに感染したとの情報が少しずつ多くなってきました。


1ヶ月ぐらい前に、久しぶりで会った知人から、


「私、感染しちゃってたの、あなたは大丈夫?」とメールが届いたのを皮切りに、


近くの老人福祉施設にクラスターが発生した…という話は最近ザラだし、


今日もまた、一昨々日会った友人から、


「38度熱発しました。だけど、あなたと会ったのは3日以上前だから大丈夫」なんだそうです。


本当に大丈夫なのかしら?


熱発は必ず感染後2日なの?なんて、ちょっと疑問符ですが、


医療関係者からの情報だそうなので、そのまんま鵜呑みにすることにします。




たびたび言うけど、


世の中が不穏になる前に逝っちゃった旦那さんは本当に幸せ者です。


というか、


もし今、旦那さんが生きていたとしたら、


旦那さんは決して若くはないし、心臓病のリスクを抱えていたので、


旦那さんも私も、本当に生きた心地がしなかったと思うのです。


旦那さんはお客さんの家を廻って集金業務をするのが主な仕事だったから、


余計にハイリスクだったはずで、


旦那さんが感染していないか心配で、私は毎日毎日、ピリピリしていたと思います。





いま、その心配は、ゼロです。


もし私が感染したとしても、少なくとも旦那さんに移す可能性はゼロなわけだしね。


だから、最近は特に、職場に持ってゆくわけにはいかないから


マスクと手指の消毒は欠かさないけど、


そのくらいのもので、


その他、心配や不安はまるっきりありません。


だって別に、私はそんなに長生きしたいとも思わないもの。


言ってしまえば、いつ死んだって惜しくない命です。




そう考えてみると、


固執するものが少なくなった分、


ある意味、本当に自由です。


だけど、


自由と淋しさは表裏一体といいますが、


「不自由さ」と、「淋しさ」と、


どちらかの駒をひとつ取れと言われたら、


私はやっぱり「不自由さ」の駒を選ぶのだと思います。




少しぐらい不自由でもいいから、ずっと旦那さんと一緒に過ごしてたかったよ。


幸せで楽しい暮らしに執着して固執して、


手離すのが怖くって怖くって、


それでもよいから、ずっと旦那さんと一緒に暮らしていたかったです。

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