安倍さんの国葬
安倍元総理の国葬をテレビで見ていて、
いろんな思いを感じました。
まず、私はどちらかといえば考えが左寄りな人間なので、
多額の税金を使った、国を挙げての一大臣の国葬や葬式というのは感心できません。
それに今回のは、元総理の政治活動中の暗殺?でしたから、
それは確かに、あまりにショッキングな出来事で、
でもそのために、政治家も含めた日本じゅうが、
センチメンタリズムに支配されてしまったような気がします。
でもまぁ、私には、
「国葬反対!国葬反対!」と練り歩くデモクラシーに参加するほどのエネルギーは無いし、
(どちらかといえば諦めという無関心(= 無責任))
それよりまず、
旦那様を突然に、しかも殺されてしまった昭恵夫人には、
似た経験をした人間として、ついつい寄り添いたい気持ちにすらなりました。
テレビ越しに、昭恵さんの、
夫のお骨を持って目はうつろ、たどたどしく歩く姿を見て、
なんとも言えない気持ちになりました。
でも、「可哀そう」という気持ちとは違いました。
昭恵さんの姿に自分の同じ時期を重ねて思い出す、強い胸苦しさです。
亡くなって80日余りだそうです。
49日を過ぎて、1ヶ月と少し。
まだまだ現実味を帯びたリアルな記憶として残っている頃です。
その頃の私って、何を感じて何をしていただろう。
確か、まともに食べられてなかったし、寝られてなかったです。
体引きずって仕事をしには行くけれど、何も手につきませんでした。
何も考えられなくて、
でも時折ものすごい悲しみが襲ってきて、その度に涙ぐんで、
顔はいつも乾いた涙で突っ張っていました。
そして泣いてる他は、顔を突っ張らせながら、ただただぼや~~っとしてました。
昭恵さん、今、きっとそういう感じなんだろうなぁ。
なんだか、その頃の自分を思い出してしまって、
ちょっとまた、呼吸が浅くなりました。
あの人年上だけど、
テレビに、ハンカチで涙ぬぐっている姿が写って、
なんだかハグして抱きしめてあげたくなりました。