いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

いずれ、人はみんな死ぬんですよね。

円楽さんも、


アントニオ猪木さんも、


あちらに逝かれてしまいましたね。


なんだか有名人の方が亡くなると、気持ちが動揺しませんか?


志村けんさんの時は、日本じゅうがパニック状態になりましたよね。


ヤパい病気が流行り始めたぞ…とみんなが思い始めた矢先の急死だったから、


「コロナって、やっぱ死ぬんだ」という恐怖感から来る動揺ではありました。




円楽さんも猪木さんもコロナではなかったけれど、


元気で活動している姿を拝見していたお二人だったから、


びっくりしたし、亡くなる前のやせ衰えた姿を見て愕然としました。


そして、これは私の場合ですが、


金曜日の晩に、突然、中学の同窓生から電話が来て、


「(同じクラスだった)〇✕子ちゃんが亡くなったらしいよ。


まだ、なぜ死んだのかわからないけど、情報が入ったらすぐまた電話するね」。




ひぇ。 


そんな、急に。


最近、よく、知ってる人が死ぬもんだ。





人間ってきっと、


それがリアルであれ、テレビを通してであれ、


知っている人が亡くなると、自分や近親者の死を想像してしまうんでしょうね。


だから私はそういう未来を想像して怖くなったし、


「はあぁあ~。」と深い溜息が何度も出ました。


幸か不幸か私の場合はもう、


最愛の旦那さんはすでにあっちに逝っちゃってるけど、


高齢の父や義母、また、自分自身の死を考えてしまって、


なんだかこの休みは、ほんとにちょっと落ち着かない感じで過ごしました。





亡くなったクラスメイトについては、


ほとんど共通の思い出のない子だったから、


これについては特に強い動揺はなく(そんな薄情な~。)、


「自分と同年代の人が死んだ」という事実だけだったですが、


円楽さんとアントニオ猪木さん。


私、あまりプロレスは見なかったけど、


政治家の猪木さんはテレビで時々見かけたし、


円楽さんは、楽太郎さんの頃から笑点でよく拝見してました。


私が見る、というよりは、家族が見てたんだけど、


でもあの頃はまだ、テレビは各家庭に1台の時代だったから、居間で一緒に見てました。



だから結局、円楽さんが若かった時、笑点に出始めの頃から知ってるわけで、


あの若かった楽太郎さんが、72歳になってる? というところからまず、


時間の流れを感じるわけで、


そしてその人が肺癌だったそうですけど、年老いて自然死?


それなら私も歳を取るはずで、


それじゃあ私だって、順番が来ればいつか死ぬんだわ。




不思議なもので、旦那さんの時は、


私もいずれ死ぬ…ということを、すごく遠い事のように感じたものです。


私は旦那さんの「年下の遺族」で、「見送る側」だったから、なのだと思います。


だけど年齢的に、「死」ってそんなにはるか遠い事でもないのです。




ウソかホントかわからないのだけど、


私が子供の時に聞いた話で、


「人間54歳を過ぎると、いつ死んでもおかしくない」ということを聞いたことがあります。


誰が言った話なのか、


科学的に証明された話なのか、わからないですけど。



でも、もしこれが本当の話なら、


私だってもう、いつ死んだっておかしくないわけで。


ある日、旦那さんのように倒れてそのまま意識が戻らず…などということがあったって、


おかしくはないわけです。




でももし死んだら。


もう、この孤独感と寂しさからは解放されるわけですし、


旦那さんに会えるんだったら嬉しいなぁ。 


………。


私が生きているこの地球や、ニッポンが、今度どうなるのか、


見極めたい私もいますけど、


でも、怖いけどいずれ死ぬんだから、


どうせ死ぬんだったら、早く旦那さんのとこに行きたいな。 


怖いけど。

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