いずれ、人はみんな死ぬんですよね。
円楽さんも、
アントニオ猪木さんも、
あちらに逝かれてしまいましたね。
なんだか有名人の方が亡くなると、気持ちが動揺しませんか?
志村けんさんの時は、日本じゅうがパニック状態になりましたよね。
ヤパい病気が流行り始めたぞ…とみんなが思い始めた矢先の急死だったから、
「コロナって、やっぱ死ぬんだ」という恐怖感から来る動揺ではありました。
円楽さんも猪木さんもコロナではなかったけれど、
元気で活動している姿を拝見していたお二人だったから、
びっくりしたし、亡くなる前のやせ衰えた姿を見て愕然としました。
そして、これは私の場合ですが、
金曜日の晩に、突然、中学の同窓生から電話が来て、
「(同じクラスだった)〇✕子ちゃんが亡くなったらしいよ。
まだ、なぜ死んだのかわからないけど、情報が入ったらすぐまた電話するね」。
ひぇ。
そんな、急に。
最近、よく、知ってる人が死ぬもんだ。
人間ってきっと、
それがリアルであれ、テレビを通してであれ、
知っている人が亡くなると、自分や近親者の死を想像してしまうんでしょうね。
だから私はそういう未来を想像して怖くなったし、
「はあぁあ~。」と深い溜息が何度も出ました。
幸か不幸か私の場合はもう、
最愛の旦那さんはすでにあっちに逝っちゃってるけど、
高齢の父や義母、また、自分自身の死を考えてしまって、
なんだかこの休みは、ほんとにちょっと落ち着かない感じで過ごしました。
亡くなったクラスメイトについては、
ほとんど共通の思い出のない子だったから、
これについては特に強い動揺はなく(そんな薄情な~。)、
「自分と同年代の人が死んだ」という事実だけだったですが、
円楽さんとアントニオ猪木さん。
私、あまりプロレスは見なかったけど、
政治家の猪木さんはテレビで時々見かけたし、
円楽さんは、楽太郎さんの頃から笑点でよく拝見してました。
私が見る、というよりは、家族が見てたんだけど、
でもあの頃はまだ、テレビは各家庭に1台の時代だったから、居間で一緒に見てました。
だから結局、円楽さんが若かった時、笑点に出始めの頃から知ってるわけで、
あの若かった楽太郎さんが、72歳になってる? というところからまず、
時間の流れを感じるわけで、
そしてその人が肺癌だったそうですけど、年老いて自然死?
それなら私も歳を取るはずで、
それじゃあ私だって、順番が来ればいつか死ぬんだわ。
不思議なもので、旦那さんの時は、
私もいずれ死ぬ…ということを、すごく遠い事のように感じたものです。
私は旦那さんの「年下の遺族」で、「見送る側」だったから、なのだと思います。
だけど年齢的に、「死」ってそんなにはるか遠い事でもないのです。
ウソかホントかわからないのだけど、
私が子供の時に聞いた話で、
「人間54歳を過ぎると、いつ死んでもおかしくない」ということを聞いたことがあります。
誰が言った話なのか、
科学的に証明された話なのか、わからないですけど。
でも、もしこれが本当の話なら、
私だってもう、いつ死んだっておかしくないわけで。
ある日、旦那さんのように倒れてそのまま意識が戻らず…などということがあったって、
おかしくはないわけです。
でももし死んだら。
もう、この孤独感と寂しさからは解放されるわけですし、
旦那さんに会えるんだったら嬉しいなぁ。
………。
私が生きているこの地球や、ニッポンが、今度どうなるのか、
見極めたい私もいますけど、
でも、怖いけどいずれ死ぬんだから、
どうせ死ぬんだったら、早く旦那さんのとこに行きたいな。
怖いけど。